ダイレン(大連)の在住の日本人に直接質問してみてください。
ロコに質問する
南山賓館が昔あった場所を案内していただけますか?
昔南山賓館があった場所に行きたいのですが、数年前に行った時にはまったくわかりませんでした。南山賓館の場所を案内していただけるでしょうか?
2017年11月25日 2時25分
退会済みユーザーの回答
七七街と呼ばれる日本風の建物が多い場所のすぐそばにあります。
バス停:27路、30路、501路、703路、708路、712路。
2018年3月23日 10時38分
退会済みユーザーの回答
遅いですが、必要なら連絡してください。xu_xiaoxu@nhn-st.com
2018年3月23日 14時48分
退会済みユーザーの回答
ヤマトホテルの旗艦店である。大連は欧亜連絡鉄道と上海航路との接続点であり、日本から満州への玄関口であり、そして満鉄が本社を置いた最重要拠点である。それ故に大連ヤマトホテルには欧米の一流ホテルに伍する格式が求められた。満鉄の設立から間もない1907年(明治40年)8月1日、旧ダーリニーホテル[4]を改装して開業。大連一の格式のホテルだったが、客室数が13室と小規模で宿泊客の増加に対応できず、1909年(明治42年)5月7日には旧満鉄本社跡(旧ダーリニー市庁舎)を改修して客室36室を確保、さらに1911年(明治44年)には社宅用建物2棟を改装し客室8室を増設、合計58室とした。
1914年(大正3年)3月に大連中心部の大広場(現中山広場)前に新館が竣工、8月1日に移転開業した。建設費90万円以上、完成まで4年を要したという当時としては巨大なホテルで、客室数115室・収容人数175名を誇った。建物の外観はイオニア式ジャイアント・オーダーが8本並ぶルネサンス様式。正面玄関には鉄製のキャノピーが設けられた。設計者は満鉄技師の太田毅と推定されている。欧米人の宿泊客を想定して館内設備は充実しており、蒸気暖房やエレベーターも備えていた。屋上には庭園が作られ、夏季には夜間営業を行う屋上レストラン「ルーフガーデン」が設置された。そのほか理髪所や洗濯部、車馬部(後に自動車部)などのサービス部門が併設されていた。
現在は3つ星ホテル大連賓館として、当時の建物のまま営業している。1987年と1997年に大改修を行い、客室(86室)には近代的な設備が整えられた。エントランスホールや宴会場などは当初のクラシカルな装飾が維持されている。
2017年11月27日 9時35分
退会済みユーザーの回答
南山賓館について、私も存じ上げないため、ネットで調べましたが、
今は、大連市第三十九中学やその周辺でしょうか?
南山賓館はバス停で存在するのですが、その周辺でよろしかったでしょうか?
そこであれば行ったことはありませんが、そこであればお連れすることは可能ですが
2017年11月28日 22時59分