ピーテル
- 居住地:
- チリ
- 現地在住歴:
- 1979年から
- 基本属性:
- 女性/70代
- ご利用可能日:
- いつでもOK
- 使える言語:
- スペイン語
- 職業・所属:
- 年金生活者
- 得意分野:
- チリの歴史と地理
世界1周の途中、チリに来て住み着き40年になります。仕事でチリ中を巡りチリ人よりチリを知っています。チリが好きでここに住めて幸福です。
地下鉄ロス・ドミニコス駅から丘の方に30分歩くと階段にでます。その180段の石段を登り切ると小公園に出て、そこからサンティアゴの街が一望できます。往復1時間で歩いて展望台に行けるわけです。ごめん、それ私のトレーニング・コースです。
運があってチリの企業で部長職を10年ほど務めました。
この経験をいかして普通の通訳でなく日本からネゴに来られる方の援助をさせてほしいです。
私 は男性です。女性と表示されていますが。
オリジナル市内ツア-(ラス・コンデス区)
ルート
ホテルで集合
1)まず、コスタネラセンタ―へ
そこで南米1高いビルの屋上展望台に
2)次いで、近くのサンハッタンを散歩
(サンティアゴのマンハッタンの意味)
そして地下鉄で終点のロス・ドミニコスへ。
3)駅の近くの市内で最も充実した民芸品市場を訪問。
4)その後、同地区で最高の遊歩道を歩き、近くのサンタ・ロサ美術館に。
同地区の住民の生活ぶりも目にすることができます。
これは半日ツア-ですが、付け加えて
チリの歴史に興味がある旅行者は国立歴史博物館へ。
ラテンアメリカの歴史の方が好きなら考古学博物館。
どちらも1―2時間ほどです。
これで一日ツアーになります。
これは私のオリジナルでどの旅行代理店にも
ありません。
どうでしょうか。
ピーテルさんはこんな人!ユーザーから届いた評価
ピーテルさんが回答したサンティアゴの質問
サンティアゴからラ・セレナに行ってみたい
ピーテルさんの回答
飛行機でなけれバスで行けます。数時間かかります。市内のバス・タ-ミナルから出ます。大手バス会社ツルブスとかプルマンブスの乗車券売り場はすぐにみつかります。チリは近郊の国より治安は良いですが、バス...
チリ国内の飛行機移動と現地ツアーについて
ピーテルさんの回答
ケイコさん 1)9月まで時間があるのでゆっくり調べてください。 2)9月は観光シーズンではないですが、建国記念日18日の前後は飛行機・ホテルとも混むでしょう 3)南部はその頃、雨...- ★★★★★この回答のお礼
ご親切な回答を有難うございます。寒さだけでなく雨対策もしないといけませんね!建国記念日のインフォも有難うございます。多分日程に入ってしまうと思います(苦)…。是非参考にさせて頂きます。
ピーテルさんの追記
私のパタゴニア Mi Patagonia
藤尾明憲 Peter Fujio 2016年
パタゴニアについて何か書いてみる気になった。パタゴニアはチリだけでなくアルゼンチンにも広がる大地のことだが、チリのパタゴニアを中心に私が経験したことを書きたい。
私はチリに1979年に入国した。タイヤの仕事についてパタゴニアの中心地プンタ・アレナスに最初に行ったのは 1981年。もう35年も昔のことだ。長男が生まれたとき、私は直ぐに病院に行けなかったが、それは出張でプンタ・アレナスに行っていたからだ。懐かしい思い出。
歴史的な事実から話を進める。 この地方がパタゴニアと名付けられたのはマゼランの航海の時だ。1520年のことになる。チリへ来た最初の欧州人が彼らになる。ピサロがインカを滅ぼしたのはそれよりかなり後の1531年のことだ。そしてスペイン人がペルーからチリに入ったのは更に後になる。 スペイン語でパタは足、ゴンは大きい。パタゴンは足が大きい人と言うことになる。つまりパタゴニアは「足の大きい人が住むところ」英語風で、ディズニーランドみたいにすればパタゴンランドになるだろう。 スペイン語で鼻はナリス。つまり鼻がでかい人間はナリゴンとなる。そんな場所はないか。 さて何故パタゴニアと言われたかには二つ説があって、一つは巨人がその地区に住んでいた。もう一つは裸足では寒いから動物の皮をはいで靴にしていたので彼らの足跡が巨大に見えた。確かにその地区で見つかった人骨で身長が2メートルを超える人間がいたことは確認されている。彼らはテウエルチェ族と考えられている。(ヤーガン族とも言われる)この地区で有名な種族はヤマナ族(オナ)で祭りのときには全裸で身体中にペイントする。その写真はパタゴニアの土産物屋さんに行けばどこでも飾ってある。
マゼランが船から見たとき、陸地に赤々と火が灯っていたので、彼らはそこを「火の大地」と名付けた。これを聞いた時、私は先住民は石油・天然ガスを燃やしていたのかと思ったが、違っていた。(彼らは火打石を使っていたことが分かっている)パタゴニアに石油・天然ガスが見つかったのはごく最近、20世紀になってからの話。その大半はアルゼンチン領から採掘されている。 日本語ではその陸地をフエゴ島と呼んでいるが、マゼランは島でなく陸地と呼んだわけだ。 フエゴと言うのはスペイン語で「火」のことだ。 それから、マゼランと言っても世界の誰も分からないだろう。彼はポルトガル人で本名はマガリャンイスだが、スペイン語ではマガジャネスとなる。彼をマゼランと言うのは日本だけだ。
西回りで世界一周を目指したマゼランは三つの問題を抱えていた。先ず組織の問題。そして食事の問題。最後の一番厳しい問題はルート捜しだった。 1519年、彼は5隻の艦隊の隊長としてスペインから航海に出た。乗務員は合計270名と言われる。 組織の問題とは彼はスペイン艦隊の総監督だったが、スペインと争っている敵国のポルトガル人だったことから、艦隊を形成した船の艦長から全面的な信認を得ていたわけではなかった。実際、航海が始まってから反乱がおこり、反抗した幹部を殺す最悪の事件まで起こっている。その時は権力を利用して表面的な平静を取り戻したが、最後までマゼランは彼らの信頼を勝ち得ることはできなかった。 食事の問題は、2年間で世界一周を達成する計画で食料を準備したが、食料不足が深刻になってしまう。例えば堅パンを100トン用意したが、すぐにパン粉になってしまい、中に虫があふれる。しかしそれを食べるしかない。またネズミが現れると、それも殺されて乗務員の腹の中に入って行った。マゼラン海峡に入った段階で食料品の在庫が後3か月になってしまい、先を懸念した1艘の船が、自分たちの食料品を積んだまま味方に連絡することなく本国に逃走すると言う事件も発生している。
最後のルートに関しては、500年たった現在に、その
カホン・デル・マイポ
ピーテルさんの回答
アオクンさん 安いツアーは町の近く、高いツアーは山奥まで行きます。 サンティアゴの山と同じ山系ですが、街から離れているので大気汚染などなく 自然が楽しめます。私はトレッキングが好きなので年...- ★★★★★この回答のお礼
ピーテルさん、ご回答ありがとうございます。値段は距離に比例しているのですね。 素敵な山の景色を子供たちに見せたいものです。