親のためなら自己犠牲?タイの老後を取り巻く過酷な実態
※本記事は特集『海外の老後』、タイからお送りします。
タイの老後は自力or家族の助けで生き延びるべし
タイでは政府に老後の面倒を見てもらうことは期待できない。
一応年金制度はあるが、受給資格は日本より早く55歳からと手厚いイメージがあるものの、始まったのが1998年と近年で、それから15年間の保険料(社会保険の一部になっている)を支払って初めて受給資格が得られる。つまり、給付は2014年にはじまったばかりということになる。
月々の年金支給額は退職から60ヶ月前の基礎賃金の20%分だ。基礎賃金は最大1.5万バーツなので、受給額が最大で月3000バーツ(およそ1万円強)となる。これが死ぬまで受給されるので、保険支払額が最高水準でも4年弱で支払った分を超えるため、日本ほど損した気分にならない点は優れている。
とはいえ、この制度は始まったばかりなので、先行きが不透明というよりも、誰も当てにしないほど定着していないといえる。
そもそもタイ政府も、自分の身は自分で守るように仕向けている節がある。たとえば、年金の代わりに自力で老後資金を確保させるため、資産運用として民間の積立保険などの加入を推奨しているが、その保険料の領収書は税金控除に利用できる。また、満期で返ってくる分は、日本のように希望的な運用率を提示するのではなく、「確定」した運用パーセンテージなので、加入時にいくらリターンがあるかが判明している。さらに、万が一保険会社になにかあっても、タイ政府も補償してくれることになってる。
この事実は、裏を返せば政府が社会保障制度が十分でないことを認めていることでもあり、老後の自分を守るのは自分と考えるしかない。
日本とは真逆で子どもが祖父母や両親を助けていく
老後の自分を守る方法は自力以外にももうひとつある。それは、家族に助けてもらうことだ。タイだけでなく、東南アジアでは家族を大切にする。そのため、家族に助けてもらうことが恥でもないし、家族も当然と思っている。
日本では親世代が子どもを養い、経済的にも面倒を見ることが普通だ。しかし、タイは真逆。稼ぎがどんなに少なくても、働きに出るようになった子どもの世代は親や祖父母を養っていくことが当たり前になっている。
タイ人は94%が仏教徒で、来世のために徳を積むことが一般的な考え方だ。そのため、進んで喜捨(施し)をするし、あらゆる団体がボランティアを受け入れている。企業も欧米の先進国並みに社会貢献活動を行うし、自然災害があればたくさんの救援物資が届き、支援者が現れる。
これはいいことでもあるが、一方で、持たざる者が持つ者から施しを受けることは当然、という怠惰の道に陥りやすい考えに至る人も少なくない。日本の飲食店などで傍若無人に振る舞う人が「お客様は神様」だと店側の理論を恥ずかしげもなくかざすのに似ている。
たとえば親が、子どもが社会に出たら楽隠居に入ろうとする。特に農村などは結婚年齢、出産年齢が低く、早い人だと40代半ばで子どもにすべてを任せて働くのをやめてしまうこともある。
タイの平均寿命は男性71.8歳、女性79.3歳(WHO世界保健機構2018年)と、日本のそれに比べて男女ともに10歳近く短い。素人目ながら、それは食生活や気候が大きな要因だと思っている。
すべてに当てはまる事例ではないが、ボク自身は結婚当初(2006年)、妻の母親を見たときには60歳くらいかと思っていたが、実際はまだ47歳だった。田舎の日差しと、食べるものが偏っているからとしか思えない。
とにかく、タイはアーリーリタイヤが甚だしい上に老けやすく、平均寿命も短い。だからなのか、働く老人をバンコクではほとんど見かけない。日本やシンガポールなどの商業施設で清掃のパートなどで高齢者を見かけると逆にボクが驚くほど、タイでは働く高齢者をあまり見かけない。
タイの常識が子ども世代をむしばむ大きな問題点
子どもの世代が親や祖父母を養うことは、家族を大切にする証として素晴らしいことではある。しかし、一方では子ども世代をむしばむ問題が起こる。特に東北部や北部の貧困層の村などだ。
先にも述べたように、タイでは人を助けることが当たり前の習慣があるが、一方で受ける側がそれを堂々と要求する文化でもある。貧困層は、誤解を怖れずに言うならば、生まれたときから施しを受けてきたため、それが当たり前になっている。
親世代は、子どもが働くようになったら自分たちを養ってくれる、と疑わない人たちだ。ある程度収入が増えたらとか落ち着いてからとかではなく、子が働きに出たそのときから給与の一部は自分たちに使われると思っている。もちろん、すべての人がそうではないが、そういう人が実際少なくない。
子の世代も要領よくやっていれば、たとえば兄弟で負担を決めるなどしてやり繰りすることは可能だ。しかし、分担する人がいない、自分で背負い込むタイプだとそうはいかない。自分の生活を削ってでも親世代に貢献しようと考える。ましてや、親が若いので、弟や妹しかいないとなれば、なおのこと食費と学費がかかり、長男長女だけに負担が増大する。
このときに起こりうる最悪のケースが人身売買だ。ほかには性風俗産業で働いたり、麻薬の売買に手を染めることもある。
人身売買は近年はだいぶ減ったと見られる。かつては北部に多く、いわゆるソープランドなどで働かされる子がいた。ボクが知る限りでは、2002年くらいまでは親に売られてきたという子がいたものだ。
最近はSNSの発達などもあって情報が拡散するため、さすがに人身売買をおおっぴらにできない。だが、スカウトマンが農村を周り、夜の店で働ける年齢である18歳以上の女の子をみつけると、まず本人と親を説得して合意を得た上で、契約金として数万バーツを親に渡すという擬似的な人身売買のケースがある。だが、その契約金は女の子の借金となり、返済プラス一定の売り上げを店にもたらせば契約満了となって自由の身になる。
子ども世代が自分の意志で都会の性風俗産業に入っていく場合、大きな問題とボクが感じるのは、親は娘が売春をしていることに薄々気がつきながらも目を逸らす、ということだ。背に腹はかえられないので、小さなほかの子どもたちを育てるために長女に我慢してもらうというのなら百歩譲ってわからなくもないが、親自身が贅沢するために見て見ぬふりをしていることが圧倒的に多い。親はまだ40代などで働ける年齢層にもかかわらず、である。
子どもが小さいときから学校に行かせず、家業を手伝わせているケースも多い。その日の食事にありつくのも大変だから、子どもを学校に行かせてなんていられないというのもわかるが、結局、その世帯の子どもは生まれてから親が死ぬまで、親の現金収入に振り回される。そうやって育った子どもは大人になったら同じことをし、貧困層の負のループが起こる。
老人ホームもあるにはあるが……
一方、バンコクなど都会に暮らす富裕層は十分な収入があるので、貧困層の問題とは無縁だ。そもそも、祖父母や親世代が築いてくれた財産で今があるので、子ども世代も彼らを大切にする。
そんな親子関係で過剰だなとボク自身がいつも思うのは、たとえば祖父母が病院に行くとなると家族総出で付き添うことだ。平日なら会社を休むし、土日ともなれば付き添い人数はもっと増える。そうなると、車1台では済まないので駐車場が無駄に満車になるし、病院内の待合室なんかは患者が座れないほど大混雑になる。
それほどタイ人は祖父母、父母を大事にする。逆に言うと、家族がいない人、要するに独身を貫いてきた人などはのちのち厳しい生活が待ち受けている。自分の身は自分で守りたくとも、その自分が動けなくなった場合だ。
スラムなどでも見かけるが、特に貧困層の独居老人はやはりひとりでは生活できなくなってくるケースがある。一応タイ政府は全額政府負担、つまり保険料を払っていなくても、低所得者層の65歳以上の人に対し一律で月500バーツを支給している。ただ、こういった制度はあまり知られていないこともあるし、物価が上がっているタイでは500バーツでは1週間も暮らしていけない。
そういった行き詰まった老人のために、タイには養老院のようなものがある。寺院や中華系の慈善団体が運営していることが多いようだが、そういったところで、最低限の生活をしている。
タイは高齢化社会が、ほかの東南アジア諸国より急速に進むといわれている。なぜなら、ボクの周囲のタイ人はいわゆる中流層以上の世帯出身だが、ほとんどが結婚しておらず、もちろん子どももいない。SNSを見ていると頻繁に海外旅行などに出かけて、遊ぶのが楽しくてしかたないといった感じだ。こういった人が今は楽しくても、タイではあとでつらくなってくる可能性がある。
そう考えると、日本の介護や老人ホームがビジネスとして成立していくのではないかと考える人もいるだろう。しかし、実はこれも難しい。タイでは家族がいれば老後の面倒を見てくれるし、介護を必要とする人は、それこそサービス料を払えないレベルの人ばかりだからだ。
日本の介護サービス企業が数年前にバンコクに老人ホームを造ったが、今は閉鎖し、訪問介護サービスに集約しているようだ。顧客になる老人は基本、家族がいる家にいるのだ。
そう考えると、ある程度、自身と家族が生活しているだけの蓄えや家業があれば、タイ人の老後の幸福度はかなり高いのではないだろうか。全員がとは言わないが、少なくとも今のタイ老人の多くは、恵まれた環境にいると思う。
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編集:ネルソン水嶋
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この記事を書いた人
高田 胤臣
1977年、東京生まれ。1998年に初訪タイ、2002年からタイ在住。タイの救急救命慈善団体「華僑報徳善堂」唯一の日本人ボランティア隊員。現地採用社員としてバンコクで日系企業数社にて就業し、2011年からライターになる。単行本数冊、AmazonKindleにて電子書籍を多数発行。執筆のジャンルは子育てネタからビジネス関連まで多岐に渡る。最近は「バンコク心霊ライター」の肩書きがほしく、心霊スポットを求めタイを彷徨う。