ミャンマーに勤労学生が多いワケとは? 軍政が生んだ複雑な教育制度

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※本記事は特集『海外の働き方』、ミャンマーからお送りします。

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若すぎる新入社員と教育事情

ミャンマーへ移住して間もない頃、当時の勤め先に新入社員が入りました。高校を卒業したところで、通信制大学への入学の待機中だというその彼女に簡単な問い合わせ電話をお願いしたところ、受話器を取りもせず固まってしまったのです

え?

上司からは「彼女には当面、仕事を振らないで」とのこと。彼女は電話機の使い方さえあまり把握していないようで、何を言われてもはにかむばかり。仕事ができないにもほどがある、日本の高校生バイトだってもっと使えるわ、と嘆息したものです。

しかし年齢を聞けば、なんとまだ16歳。日本ならまだ高校1年といったところ。ミャンマーでは高校生がアルバイトをすることはまずないので、今回が彼女にとって初めてのオフィスワークだったわけです。そりゃ右も左もわからないわ、と納得したものの……

あれ、ちょっと待って。大学生なのに16歳?

ラッシュ時のバス停。通勤には民族衣装ロンジーを着る人が多い

そう、ミャンマーの基礎教育期間は日本と異なり、6歳で入学する小学校が4年、中学4年、高校2年の10年間しかないのです。小学校の前に1年間、幼稚園へ通う子どももいますが、それでも11年。基礎教育の国際基準は12年ですから、幼稚園を含めても足りません。数年前から始まった教育制度改革で徐々に国際水準へと移行している途中ですが、前述の彼女の世代はまだ旧来の教育を経た人たちなのです。

朝の校門前。制服は男女とも上が白、下が緑のロンジーと決まっている。

 

軍政の影響が強いミャンマー、その特殊な教育&就職事情。

ミャンマーの大学は「通信制」が半数以上を占める

日本では4月1日に入社式を行うのが一般的ですが、ミャンマーでは就職の時期は人によってばらばら。なので入社式などはありません。その背景には、人によって大学の卒業時期も違えば、やむをえず進学前に就職する人もいるということがあるためです。

大前提として、ミャンマーの大学には2種類あります全日制と、10月頃に10日間(専門により時期や期間が多少異なる)ほど大学に通うだけでその他の期間は自宅学習を行う通信制です。この割合に関する正式な統計はありませんが、知人の高校では通信制を選択した同級生はクラスの6割を超えていたとのこと。地域によっても異なるでしょうが、かなりの率です。

通信制の学生がスクーリングに通う期間、全日制は休講となる。写真は東ヤンゴン大学。

経済的事情で進学前に「就職」が当たり前

通信制大学へ進学する学生の場合、ほとんどは大学へ通いながらフルタイムの仕事に就きます。しかし、そのため就活は進学先学部がわからないまま行います。というのも、高校2年の3月に受ける高卒認定試験の際に進学希望の学部を第4希望まで出しますが、結果がわかるのは全日制で4ヵ月後の7月通信制ではなんと翌年の2月、つまり1年近くも待つのです。

しかし、経済的に余裕のない家庭では1年も待てず、入学が決まるまでに働きに出る必要があります。実は、ミャンマーでは18歳未満の子どもを企業が雇用することが禁じられており、冒頭に登場したような高校を卒業したての16歳の社員は厳密には法律違反ですが、事情が事情なだけに「働くな」とも言えず、社会的には黙認されています。つまり彼らは将来何を学ぶのかわからないまま就職し、結果、「仕事の内容と大学で修める学問が合致しない」なんてことが起こりえるわけです

女性たちが続々出勤中の朝のヤンゴン市役所。ミャンマーは公務員の男女平等が進んでおり、女性管理職も多い。

通信制学生を雇う「リスク」もお忘れなく

たとえば、ある学生は通信制大学の進学先として第1および第2希望に「コンピューター学部」(学舎の違いにより、同じ学部を2種類希望できる場合もある)、第3希望が「英語学部」、第4希望は「国際関係学部」を申請。そして第1志望への合格を見越してIT関連企業に就職したものの、決まったのは英語学部だったため、間もなく転職するはめになりました。

さらに、通信制は卒業時期もまちまち。卒業試験は4年生時の10月で、全日制は翌年2月までに合否が判明して卒業しますが、通信制は試験後の1年くらいの間にばらばらと合否の知らせが来るそうです。通信制学生は卒業するとステップアップを図って転職しがちですが、その時期もおのずとばらけてしまうのです。

トラックの荷台に“積まれ”、現場まで運ばれる労働者たち。女性たちも砂利運びなどに従事する。

なお、通信制大学の学生を雇う側が注意しないといけないのが、秋のスクーリング(登校期間)です。10日間ほど必ず休みますので、代替要員などを確保しておく必要があります。

通信制大学が多い理由は軍政時代の「学生運動阻止」

それにしても、なぜミャンマーには通信制大学がこれほど多いのでしょうか。それには、重い理由があります。

ミャンマーでは軍事政権の圧政に対抗して、1980年代後半に学生を中心とした民主化運動が激しくなりました。手を焼いた政府は1988年、ほとんどの大学を閉鎖。その期間は10年以上に及びました。

学生運動の中心を担ったヤンゴン大学の評議会ホール。ミャンマー版“安田講堂”?

2000年の再開に際しては、学生運動の勢いを削ぐことを目的とした学制改革を断行。運動の中心となったヤンゴン大学やマンダレー大学は一部を残してほぼ全ての学部を郊外へ分散させ、自宅学習をメインとする通信制大学を多数開設。学生が集まりにくい体制を確立したのです。

一方、通信制大学の充実は、貧しい家庭の子弟が働きながら大学卒業資格を得られるというメリットを生み、今日のような大学生社員をたくさん生むことになったのです。

 

若手社員に「働き方」を訊いてみました

このように、独特の大学教育制度のもとで就職活動をして社会に出ていった若者たちは、どのような経緯で今の仕事に就き、どんな夢を持って働いているのか、実際に訊いてみました。

僧院の日本語教室がきっかけで日系企業に

日系旅行会社の事務職に就いて半年というサンダーさん(21歳)。昨年2月に大学の英語学部を卒業後、就職が決まらないまま僧院内の日本語教室に通っていたそうです(ミャンマーの僧院には、ボランティア教師が授業を行うほぼ無料の外国語教室が多い)。

板坂

サンダーさんが日本語を勉強していた理由はなんですか?

サンダーさん

仕事が決まらないまま遊んでいるわけにもいかず……。英語以外にも外国語ができた方が有利かなと

板坂

日本でも就活にむけて語学を学ぶ人が多いのと一緒ですね。今の会社はどのような経緯で就職を?

サンダーさん

僧院長が私のために、仕事の紹介をしてくれるよう卒業生に働きかけてくれたんです

板坂

では、このまま日本語の勉強を続けて、より給料の高い日本語ガイドを目指す?

サンダーさん

いいえ。夢は食堂でもブディックでも何でもいいので、自分の店をもつこと。今は働いてお金をためています

親戚の縁故で学習塾の講師に

タッウェーピョーさん(18歳/向かって左)とズェンシーウィンナインさん(19歳)。2人とも通信制大学で勉強するかたわら、大型学習塾の講師をしています。おひとりにインタビューをお願いしたら、恥ずかしがり屋のミャンマー人らしく、「2人一緒なら」とOKが出ました。

タッウェーピョーさん

コンピューターを勉強中です。叔母がこの塾で講師をしていた関係で職を得ました

ズェンシーウィンナインさん

私は教育学部です。同じく講師をしている姉の紹介です

板坂

卒業後もこの仕事を続けます?

ズェンシーウィンナインさん

このまま長く勤めたいですね

タッウェーピョーさん

アニメが好きなので、将来はアニメにかかわるコンピューターの仕事をするのが夢です

取引先から相談を受けて転職

男性にも聞いてみましょう。ビジネスサービス会社にお勤めのITエンジニア、ボージンミョーさん(28歳)です。

板坂

この会社へはどうのような経緯で来られました?

ボージンミョーさん

元は取引先のひとつでしたが、ITエンジニアに常駐してほしいと相談され、転職しました。既に4年になりますが、今のところは他へ移ることは考えていません

今回お話をうかがった方々もそうでしたが、就職は口コミで決まるパターンが圧倒的。ミャンマーには日本のハローワークのような行政サービスはなく、人材紹介会社や就職情報誌、新聞の人材募集コーナー、Facebookの人材情報交換ページなども利用できますが、まだまだ一般的ではありません。

 

ミャンマー独自のセーフティネットと諸問題

学歴のない地方出身者の就職

ここまでみてきたのは、いわば知識層の就職状況でした。地方から都心へ出てくる学歴をもたない人たちの就職は、どのようになっているのでしょうか。

地方出身者が多い建設現場。

ミャンマーでは高いレベルの教育を受けなかった地方出身者の場合、男性は建設作業員、女性は介護職に就く人が多いと言われています

親戚や知人を頼って仕事を探すのは同じですが、さきほどのインタビューにもあった通り、そういうツテがなくとも大きな助けになるのが僧院です

早朝の托鉢に同行し、寄進された料理を集めるのは、僧院に寄宿している男性の場合が多い。

ヤンゴンのような大都市には、地域や民族と強く結びついた僧院がたくさんあります。故郷の村出身の僧侶が住む僧院や、特定の民族の寄進で建立し、僧侶はすべてその民族出身者といった僧院です。自分と繋がりのある僧院で食と住の面で助けてもらい、「僧院の仕事を手伝いながら自分の仕事をする」というケースをよく聞きます。

国際社会からも批判されがちな児童労働

最後に、ミャンマーの労働状況について話す際に避けて通れない児童労働の問題についてお話しします。ミャンマーに来たことのある人なら、どうみても10代前半、時には10歳にも満たない子どもが大衆喫茶店で働いているのを見たことがあるのではないでしょうか。彼らは「ティーボーイ」と呼ばれ、小学校も卒業していない地方出身の子どもであることが往々にしてあります

大衆喫茶店は衣食住付きが多く、地方出の子どもが最初に働くのに適しているといえば適している。

知人のタクシー運転手にも、「12歳で地方からヤンゴンへ働きに出されて、最初に就いた仕事がティーボーイだった」という人がいます。彼らは大きくなるに従って小商いを始めたり、何らかの技能を身につけてより稼げる仕事へとシフトしていくのだそうです。

 

急激な変化の中でも、ミャンマーらしいよい面は残ってくれれば

長く鎖国に近い状態にあったミャンマーは今、急激に“外の世界”に触れ、吸収しています。街中には外資系企業が増え、基礎教育期間の国際標準化をはじめ、様々な教育改革も進みつつあります。しかし、貧困家庭の子どもでも進学できる通信制大学の充実や、僧院による地方出身者の支援など、社会的弱者ともいうべき人びとを救済する手立てとなっている制度については、時代に即して形を変えたとしても、残っていってくれることを願ってやみません。

僧院内の外国語教室。授業料はわすが数十円ほど。ここで努力を重ね、ステップアップする若者も多い。

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

板坂 真季

板坂 真季

ガイドブックや雑誌、書籍、現地日本語情報誌などの制作にかかわってウン十年の編集ライター&取材コーディネーター。西アフリカ、中国、ベトナムと流れ流れて、2014年1月よりヤンゴン在住。エンゲル係数は恐ろしく高いが服は破れていても平気。主な実績:『るるぶ』(ミャンマー、ベトナム)、『最強アジア暮らし』、『現地在住日本人ライターが案内するはじめてのミャンマー』など。Facebookはこちら

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