職を得るためタダ働き? イタリアの就職難とゆるさを貫くメンタリティ
※本記事は特集『海外の働き方』、イタリアからお送りします。
警察官はヒラメに夢中!? イタリアの「ゆるい」働き方
「ヒラメはズッキーニと食べるのが美味しいよ」
「へえ、どうやって料理するの?」
「簡単よ、ズッキーニを薄く切ってヒラメと一緒にオーブンで焼くだけ」
「トマト入れる?」
「私はオリーブオイルと塩だけが好きかな、シンプルなほうが美味しいよ」
イタリア人の仕事ぶりについて聞かれると、いつも思い出すのがこの会話です。会話の主はレストランのシェフ……ではなく警察署の職員。イタリアに来て初めての滞在許可証を申請しにいったとき、私の書類を審査するはずの係員は「美味しいヒラメの食べ方」について同僚とずっと話し込んでいました。
そもそも、海外に住む人にとって滞在許可証の申請は一大イベント。申請書類の中には戸籍謄本をイタリア語に翻訳したもの、さらに外務省で申請した「この書類は国際的に認められたもの」であることを証明する公印確認(アポスティーユ)などが含まれています。
これらはすべて、取得に手間や費用がかかるもの。なにか問題があって滞在許可証が下りないと、苦労して集めた書類の山はすべて無駄になってしまいます。それだけに滞在許可証の申請は緊張するし、とにかくトラブルなく終わってほしいと誰もが願うものです。
しかし、その書類を審査するはずの係員はヒラメに夢中で、さらにはズッキーニの切り方まで細かく同僚に指南し始める始末。
もしかしたら、申請書類はしっかりとポイントをおさえて確認されていたのかもしれない。だけど目の前の係員からはそんな様子はあまり感じられません。私はただ「登録内容まちがえるなよ〜」と恨めしく念じていました。
イタリア語でアルファベット順に国名を並べたとき「日本:Giappone」と「ジャマイカ:Giamaica」は隣同士に並びます。そのため、出来上がった滞在許可証を見てみると日本人なのに「ジャマイカ人」と記載されているのはままあること。そうなると、訂正するのにも少なからず時間と労力がかかるので、あまり笑い事ではないのです。
こうした心配をよそに、出来上がった滞在許可証にはちゃんと「日本人」と記載されており、名前のスペルや生年月日にも間違いはありませんでした。ただ「書類に目もくれずヒラメの話に夢中になっていた警察職員」の姿はとても印象的で、「イタリア人の働き方ってゆるいな……」と感じたのを覚えています。
仕事にありつくまでが大変! 過酷なイタリアの就職事情
さて、そんなふうに最初から「ゆるさ」を目の当たりにしたイタリアの新生活。その後もそのイメージはなかなか変わることはありませんでした。
このように書くと「イタリアで働くのって楽でいいな」と感じる方もいるかもしれません。確かにイタリアでは「出社したらまずコーヒーブレイクから始める」「市役所の職員が窓口に並ぶ行列を残してランチに出かける」なんてのも日常茶飯事で、日本にはないある種の「ゆるさ」があるのも否定できません。
ただ最近は、ゆるさだけではない、イタリアならではの過酷さを感じる場面も多々あります。
イタリアはリーマンショック以降、慢性的な不景気に見舞われていて、経済事情も就職事情もあまり恵まれているとはいえません。仕事を見つけるのは簡単ではないし、仮に見つかっても契約条件がよくないこともしばしば。
例えば友人のパオラは、仕事を見つけるまでに1年間ステージ(いわゆるインターン)として無給で働いていた経験があります。本来ならインターンは若者がスキルの習得を目的として企業で働くもの。彼女は当時27歳と若かったものの、すでに同じ業種で仕事していた経験がありました。しかし面接の後、企業が提示した条件は「ステージ」だったのです。
すでに経験とスキルがあったんだから、本来はステージで雇用するべきじゃないよね
まあね。でも、イタリアは仕事見つけるの難しいし、よくある話ではあるよね
「給与は経験に準じる」という条件を見て面接に行ったらステージを提案される。パオラの言う通り、これはイタリアでは決して珍しい話ではありません。それでも求職者がそれを受け入れるのは、ステージ期間終了後に雇用してくれるかもしれないという期待があるから。ただそれも契約書に明記されるわけではないので、確実性のある話ではありません。
そして、法律で定められた上限の6ヶ月のステージ期間が終わったあと、企業がパオラに提示したのは「さらに6ヶ月のステージ契約」というものでした。上限をすぎる前に、いったん解雇して一定期間をおけばまた新しくステージ契約が結べる、というのが企業の言い分です。
プラス6ヶ月ということは、合計1年間も無給で働くことになるよね
そうだね。でも私は実家に住んでたから(収入がなくても)生活できたしね。それに、何もないよりましだから
いくら「契約満了後に雇用されるかもしれない」という期待があっても、1年も無給で働くのは相当迷ったはず。それでも、その条件を受け入れざるを得ない難しさが、パオラの「Meglio che niente.(何もないよりまし)」という言葉に込められているような気がします。
その後、パオラは1年間のステージを経てその企業に雇用されましたが、その契約は1年ごとに更新されるというもの。だから「そんなに嬉しい気持ちにはならなかった」のだとか。かなり過酷ですが、これもイタリアでは決して珍しい話ではないのです。
生活が十分に保証されない有期雇用、その数は年々増加傾向に
先ほど「仕事を見つけても条件がよくない」と書きましたが、補足としてその話を少しさせてください。イタリアの労働契約の種類は、大きく分けて以下の2つがあります。
・無期雇用
・有期雇用(契約社員や派遣社員など)
「無期雇用」とは文字通り雇用期間の定めがない契約。日本で言うところの「正社員」に当たるものと考えていいでしょう。
「有期雇用」はその反対で、半年や1年など雇用期間が予め決められている契約のこと。一般的には産休や病気療養に入る人の代理、また一時的な人員補充などが当てはまります。
ただ、この中には数日や1日単位などの短期で呼ばれたときのみ働く「プロジェット」や先に紹介した「ステージ」などの契約もあり、働いているからといって必ずしも十分な収入を得られるものばかりではありません。
イタリアの国立統計研究所の調査によると、2018年9月時点でイタリアで雇用されている人の数はおよそ1,800万人。イタリアは個人事業主が非常に多い国なので(同時期の統計でおよそ530万人)、必ずしもこれだけの人しか仕事にありつけないわけではありませんが、それでも決して多い数とはいえません。そして、このうち有期雇用で働く人の数は310万人とされています。しかし、最近は企業側もリスク回避のためか無期雇用の契約を避ける傾向にあり、2017年9月の時点と比べると有期雇用で働く人の数は36万人も増えています。1年間で10%以上も増えたと考えると、イタリアの就職事情の厳しさがおわかりいただけるでしょう。
イタリア人は働かない……というよりスタンスが違うだけ?
このようにイタリアの就職事情はかなり厳しいもの。
とはいえ、頻繁にコーヒーブレイクがあったり、夏のバカンスシーズンには2週間も休暇が取れるなど、日本にはないゆるさがあるのも事実です。そのため、中には「イタリア人は働かない」というイメージを持つ人もいるでしょう。ただそれは「働く」ことに対する考え方がそもそも違うのかもしれません。
例えば、イタリアでは労働者の利益がしっかり守られていると感じることが多々あります。必要に応じて自由に有給が取れるのはもちろん、病気で会社を休むことになっても給料は100%保証されます(これは有給とは別で支給されます)。
また、出産前後に取得する育児休業(いわゆる育休)とは別に、家族と過ごす時間の確保や子育てを目的として取得できる育児休暇(これも略称は育休です)の制度もあり、子供が12歳になるまでに合計6ヶ月の休暇を申請することができます(条件を満たせば給料も30%まで支給されます)。
これらはすべて労働者の権利として保証されており、誰もが当たり前に利用できるもの。さらに夏には2週間のバカンス……。そう考えていくと、ワークライフバランスの自由度は比較的高いといえるでしょう。
こうした背景もあるせいか、イタリアでは仕事の優先順位はそれほど高くありません。もちろん中には、自動販売機で買ったサンドイッチをかじりながら常にデスクに張り付いているようなワーカーホリックもいます。でもそれは少数派で、多くの人はそんな同僚を見ながら「あの人はなぜそんなに働くのだろう」とランチに出かけるのです。
そもそも仕事を得ること自体が難しいイタリア。たとえ無期雇用されていても、ずっと仕事があるという保証はありません。たとえば事業縮小により自分の部署がなくなってしまったら? それにより遠く離れた街への配置換えを打診されたら? そんな危機感は誰にでもあります。
それなら、いつなくなるかわからない仕事に全力を尽くすよりも、家族との時間や自分の趣味に力を傾けるほうがよほど有益だと考えるのがイタリア人のメンタリティ。もちろん仕事を失わないために最低限のことはするけれど、あくまでお金を得る手段と割り切っています。そして、周りの同僚もそれを共通認識として持っているから、少しくらい仕事が疎かになっても周りから責められることはありません。
「お金をもらうからには全力で取り組む」のではなく、「お金を得る手段だからこそほどほどに働く」。そう考えると、出社したらまずコーヒーブレイクに行く同僚がいても、市役所の職員が窓口に並ぶ行列を残してランチに出かけても、「まあそんなもんだよね」と達観することができるのです。
もちろん、社会全体がこうしたメンタリティで動くことで、多少生活が不便になるのは事実です。ただ、そのゆるさはお互いさま。自分も気楽に仕事に向かえると考えると、そう悪いものでもないかなと思えるのです。
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編集:ネルソン水嶋
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