高温多湿でも快適に、暮らしの数だけ工夫がいっぱいマレーシアの家事情

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※本記事は特集『海外の家』、マレーシアからお送りします。

クリックorタップでマレーシア説明

 

「日当たり良好」が好条件ではない、マレーシアの家

マレーシアは、マレー半島とボルネオ島からなる、海に囲まれた国です。領土内の最南端はサラワク州のサマラハン(ボルネオ島)の北緯0度51分ですから、まさに赤道直下

ユーラシア大陸から南に細く伸びているのがマレー半島。その東にある、世界で3番めに大きな島がボルネオ島(インドネシアでは「カリマンタン」)。

一年中雨の多い熱帯雨林気候で、年2回の季節風の変わり目には雨季があります。気温は一年を通じてあまり変わらず、平均気温は26~28℃。最高気温は34~36℃まで上がりますが、体が暑さに慣れるせいか、猛暑が続く日本の夏よりも過ごしやすい印象です。

ひんやりと涼しい「イスタナ・サトゥ」(詳しくは次項)の台所。ひさしが深く、窓が少ないため、直射日光が差し込まない造りになっている。(マレーシア国立博物館)

そんな気候のマレーシアで快適に暮らすこつは、暑さと湿気をどう防ぐか。家の構えも、強い直射日光を避けられるように適度な陰をつくること、室内に湿気がこもらないように風の通りをよくすることが重視されます。日本のように、南向きでさんさんと日が差し込んだり、西日が当たる部屋は、暑くて家具の日焼けもすることからあまり好まれません。

地域や時代で造りは違いますが、家の建て方からも、熱帯の暮らしの工夫を知ることができます。

 

マレーシア人の心の「ふるさと」、伝統的な高床式の家

東南アジアの伝統的な家の多くは、高床式住居です。雨が多い気候では地表に湿気がたまるので、床が地面から離れていることで湿気が少なく、風が空間を渡るので涼しくなります。

19世紀にクアラ・トレンガヌ州にあった王宮の一部を再建した「イスタナ・サトゥ」。金属製の釘を使わず、木製の止めくぎだけで作られている。(マレーシア国立博物館)

雨季には、激しいスコールで川が氾濫したりして水害も起きるので、杭の上にある住宅は、家族や家財を守る工夫でもありました。何か問題が起きたときには、土台部からそっくり移動することもできます。床下の地上部分は日陰になっているので、涼しく過ごすことができます。簡単な農作業や織物をする仕事用スペース、家畜を飼う場所として活用されました。

旅行者がホームステイもできる、伝統的な高床式の家(マラッカ)

都市部では、あまり見られない高床式住居ですが、マレーシアの、特にマレー系の人びとにとっては、なつかしい「ふるさと」のイメージでもあります。

国営企業ペトロナスの「ハリ・ラヤ」CM

毎年、イスラムの断食月が終わった「ハリ・ラヤ」(断食明け大祭)には、日本のお盆と同様、大勢の人が帰省して田舎で休暇を過ごします。1か月にわたる断食が無事終わったことを、家族や親戚が集まって祝うためです。

ハリ・ラヤの時期にショッピングセンターに現れる、高床式の家のディスプレイ。

高床式の家は、家族の団欒やふるさとを想起させる象徴として、この時期のショッピングセンターのディスプレイによく使われます。

 

成功した貿易商が建てた、豪奢なプラナカン屋敷

マレー半島の西海岸にあるマラッカ(マレー語では「ムラカ」)は、古くから貿易で発達した港町です。飛行機がなかった時代、インドや中東、ヨーロッパの商人が、中国や、タイ以東の東南アジアと貿易をするには、船でマラッカ海峡を通らなければなりませんでした。

沖合にマラッカ海峡を望むマラッカは、東西交易の要ともいえる重要な場所にあったため、中国やインド、アラビア半島などから多くの貿易商が来航しました。大航海時代には、ポルトガル、オランダ、イギリスが相次いで拠点を置いています。

当時の航海は危険を極めたため、商人たちは家族を伴わずに単身で船に乗り込むのが普通でした。交易で財を成した外国商人たちのなかには、地元の女性と家庭をもち、マラッカに定住した人も多かったのです。こうしたカップルの間に生まれた人びとの子孫を「プラナカン」といいます。

https://traveloco.jp/kaigaizine/snack-malaysia

裕福な商人たちは、大理石やタイルなどの高級な建材をはるばるヨーロッパから輸入したり、中国伝統の螺鈿細工を施した重厚な家具や、細やかな彫刻の調度品を揃えたりして、東西文化が融合した家に暮らしていました。

ゴム事業で成功したプラナカン一族の邸宅。現在は「ババ・ニョニャ・ヘリテージ博物館」になっていて、案内つきで見学できる(マラッカ)。

オランダが統治した時代には、住宅の間口の広さによって課税されたそうで、立ち並ぶ家はどれも2・3階建てで、奥に細長い、上方の町屋を思わせる構造になっています。

18世紀のオランダ統治時代の住居が残る、トゥン・タン・チェン・ロック通りの町並み。(マラッカ)

玄関を入ると、豪華な応接間があり、いくつかの居室が続きます。奥に台所があるのは、調理の熱が室内にこもらないようにするためで、外気を取り入れる開放的な設計になっています。壁は隣家と共用なので窓がないため、明り取りを兼ねて小さな中庭が設けられている辺りも、町家の坪庭を連想します。

屋敷奥の中庭に面して、通気と明かり取りのために設けられた窓。中庭には、木が植えられたり、小さな池があったりと目を楽しませる工夫がある。

プラナカンの多いマラッカ、ペナンには、プラナカン屋敷を改装したレストランやホテルがあります。食事や宿泊に利用すると、外側からはわからない住宅の構造や、優美な調度品を見ることができます。

プラナカン屋敷を改装したレストラン。(マラッカ)

 

究極の職住近接。東南アジアに広まった「ショップハウス」

東南アジアには、外壁と柱を共有した建物がいくつも連なった、「ショップハウス」という建築があります。1階が商店、2・3階が住居に使われることが多いので、この名前でよばれています。もともとは中国南部の建築様式だったのが、華僑の移住とともに各地に広まったようです。

クアラルンプール中心部のショップハウス群。チャイナタウン周辺には20世紀初頭の建物も残っている。

マレーシアとシンガポールのショップハウスは、1階部分の居住面積を減らして軒廊を設けてあるのが特徴です。この2国は、19世紀からイギリスの支配下におかれ、英領マラヤとよばれていました。このときに植民地行政の責任者であったスタンフォード・ラッフルズが、強い日差しや雨を遮るために軒廊を取り入れるよう定めたため、現在もこの形が引き継がれています。

比較的新しい街区の軒廊。ふだんは歩道だが、テーブルを置いて喫煙席として活用する店もある。

軒廊の幅は5フィート(約152cm)。地元では「カキ・リマ」(マレー語で〝5フィート〟)と呼ばれています。私有地でありながら公共の場でもあるカキ・リマは、軒があるので庇つきの歩道の役割も果たしていますが、古いところでは意外と高低があるため、階段を上り下りする羽目になることもあります。

 

ほどほどのプライヴァシーと、ご近所づきあいのある「マレーシア式長屋」

十軒ほどの住居がつながった「リンクハウス」(タウンハウスとも)も、マレーシアらしい風景です。ショップハウスと同じく、外壁と柱を共有した、いわば長屋で、イギリス統治下の20世紀初頭に、ヨーロッパの建築様式が伝わったそうです。

20世紀初頭のリンクハウス。1915年の建築で、「ハンドレッド・クォーターズ」(百軒長屋)とよばれていたが、周辺の再開発で2015年に取り壊された。

つながった住宅の両端は、コーナハウスとよばれる庭付きのやや広いユニットで、スペースのある分だけ家賃は高くなりますが、小さい子どもやペットが自由に遊べる安全な場所が確保できるので人気があります。

連棟式ですが、リンクハウスの入口は一軒ごとに独立していて、門から玄関までのスペースは、車を止めたり、洗濯物を干したりする場所に使われています。はきものは玄関で脱ぐ習慣があるので、日本と同様、うちの中では素足かスリッパで過ごすのが基本です。

居室は、玄関から奥に向かって配置されていて、内階段で2階、3階に上がる構造です。床は石かタイルで、掃除はモップで水ぶきします。暑いので、水でふいてもすぐに乾いて扱いが楽ですが、石やタイルの床は固く、うっかりものを落とすと簡単に割れますし、転んだ場合はけがをすることもあるので、木の床とは違った注意が必要です。

古いタイプの住宅にはまだ招かれたことがありませんが、台所はふたつあり、室内にある「ドライ・キッチン」は食卓や食器戸棚が置いてあって家族が食事をとるところ、屋外にある「ウェット・キッチン」は、土のついた野菜を洗ったり、炒めものや揚げものなどの調理をするところ、という具合に区別しているそうです。

当地の知人によると、「だって火を使ったら暑いじゃない? 部屋が汚れたり、匂いがこもったりしてもいやだし」とのこと。東京の狭いアパートの台所で格闘していたことのある身には、ちょっとうらやましいような環境です。

ずらりと並ぶリンクハウス。屋根や外壁の色調が揃っているので、日本のまちに比べて統一感がある。

家の一番奥にある台所は、高い塀で隣と区切られてはいるものの、開放的な造りのために隣の様子はわかるので、洗い物をしながら隣家の住人とおしゃべりをしたり、話のついでに料理のおすそ分けをもらったりすることもあるそうです。

防犯上の理由で高層住宅を選ぶ人も増えていますが、若いカップルのなかには、ほどほどの家賃でスペースも広い、リンクハウスを見直す動きも出ています

 

都市部の住民が住む、高層の集合住宅

今は、コンドミニアムに住んでいる駐在員がほとんどだと思いますよ。昔より治安は悪くなっていますし、とにかく故障・不具合が多いので、全部自分で対応するのは大変ですから」と話すのは、1980年代に駐在経験があり、現在もマレーシアに長期滞在中の友人です。

一戸建ては空間的な余裕があり、プライヴァシーも守れますが、都市部では空き巣や強盗などの犯罪も少なくないため、安全面から高層の集合住宅に住む人が増えています。

カラフルな外壁が地域のランドマークにもなっている公営アパートメント。

一口に集合住宅といっても、低所得者向けに政府が建てた公営のアパートメント、民間企業が経営するアパートメント、警備や館内設備が充実したコンドミニアムなど、いろいろな種類があります。

閑静な住宅地に立つ、高層のコンドミニアム。

コンドミニアムは日本でいうところのマンションで、入口に守衛室があり、部外者は勝手に立ち入ることができない安全性の高さが売り物です。プールやスポーツジム、テニスやスカッシュ(ゴムのボールを打ち合う屋内球技)のコートなどの共有設備も充実していて、管理事務所が共有スペースの掃除や修繕を担当しています。

コンドミニアム正面玄関の守衛室。部外者は、ここで名前や所属、訪問先を告げて身分証明書を提示しなければならない。

その分アパートメントに比べると家賃は上がりますが、経済的に余裕のある家庭には人気があります。不動産の価値は上がる一方なので投資物件として購入している人も多く、建築ラッシュが続いているわりには、空きが少ない状態が続いています。

不動産エージェントの案内で内見した、賃貸コンドミニアムの一室(家具付き)。

コンドミニアムの多くは十階を超える高層で、1フロアに数戸のユニットが入っています。マレーシアでは、企業が一棟丸ごと管理しているのは珍しく、一戸ごとにオーナーが違うのが普通。同じフロアでも、内装や設備はかなり違います。家具は備え付けのところが多いものの、備品の種類や充実度もさまざまなので、家賃と勘案して選びます。

分譲中の新築コンドミニアムの部屋モデル。

安全面の利点はありますが、狭い空間に生活習慣やマナーが違う同士が隣り合って住んでいる集合住宅では、思わぬ摩擦が起きることもあります。夜遅くまで騒ぐとか、ごみの出し方が汚い、悪臭がする、犬の飼い方についてなど、苦情には管理事務所が対応します。

 

多様性のマレーシアならではの選択肢いろいろ

どの地域に、どんな家で住むか。それぞれに優先するものは違うはずですが、マレーシアは、その幅がかなり広い印象があります。若いカップルなら、気に入った場所が見つかるまでの間、家具付きの賃貸アパートメントを借りて身軽に生活してもいいでしょうし、大家族ならスペースにゆとりのある一戸建てを買うのもいいでしょう。郊外に一戸建てを買うのが夢ではない、というのも、土地にゆとりのあるマレーシアならでは。

外国人の居住者が多い国柄、サービスアパートメントも充実しているので、予算の心配がなければ、家具付きの、掃除や寝具の交換サービスがある部屋で、すぐに生活を始めることもできます。マレーシアは多様性に富む国です。それぞれの予算や生活スタイルによって選べる選択肢が多いところが、その一端をあらわしていると言えるのかもしれません。

ところで、マレーシアでは、日本よりも個人のお宅に招かれる機会が多いと思います。ハリ・ラヤなどの際に「オープン・ハウス」といって首相官邸や知事公邸を開放して市民を迎える行事があることや、わりと親しみやすい人が多いからかもしれません。

そんなときは、遠慮せずに招待に応じましょう。招かれたお礼に、ちょっとした手土産を持参し、家を見せてもらったり、マレーシアの生活について教えてもらうと、きっと喜ばれます。

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

森 純

森 純

マレーシアを中心に東南アジアを回遊中。東南アジアにはまったのは、勤めていた出版社を辞めて一年を超える長旅に出たのがきっかけ。十年あまりの書籍・雑誌編集の仕事を経てマレーシアに拠点を移し、ぼちぼち寄稿を始めました。ひとの暮らしと文化に興味があり、旅先ですることは、観光名所訪問よりも、まずは市場とスーパーマーケットめぐり。街角でねこを見かけると、つい話しかけては地元の人に不思議がられています。

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