『アルゼンチンと奥川駿平』前編:ラテンな嫁と僕の日々
日本の裏側にいる女の子と遠距離恋愛
僕の嫁はアルゼンチン人。そう、僕は日本の真下にある国で生きる女の子と結婚し、今は彼女の国で生活をしている。
数ある国際結婚のひとつ。しかし、その遠距離恋愛はもしかしたら「世界最長」と言えるのかもしれない。その出会いは今から遡ること4年半前、僕たちの物語は1通のオンラインメッセージからはじまった。
モラトリアムに飛び込むアルゼンチンからのメッセージ
2014年4月、大学4年生の僕は暇を持て余していた。企業からの内定をもらい、残った単位を消化するためだけに学校へ行く日々。まるで空でもぼんやり眺めるかのように講義を受けていると、利用していたランゲージ・エクスチェンジサイトから通知の知らせ。
「こんにちは」
送り主は、茶色の瞳と髪の毛が魅力的な女の子。丁寧に塗ったであろう青色の爪が白い肌とよく合っている。「綺麗な子だな」、授業も退屈だったので返信をした。名前はアントネラ(本人はアントと呼ばれるのを好む)、彼女もまた世界のどこかで退屈な日々を過ごす学生だった。後々判明するが、彼女は僕のプロフィール写真に一目ぼれしたそうだ。
「数日で終わるかな」と思っていた彼女とのやりとりは、お互いのLINEも交換して、二ヶ月経ってもまだ続いていた。会話の内容はほとんど覚えていないから、大した話はしていないのだろう。ただ、どうでもいい話を毎日できる相手はなかなかいない。実際に彼女との会話は楽しかった。
22歳の僕は、無自覚ながらも思春期の少年のように、朝晩に届く(地球の真裏では晩朝に送る)彼女のメッセージに心躍らせていたのである。
7月の初め、スマホにきた通話の知らせ。彼女からだった。僕は自宅でウイスキーを飲みながら、お気に入りの深夜ラジオを聴いている最中だった。いつもはメッセージを送る彼女が通話をかけてくるなんて珍しい。「どうしたのかな」と不思議に思い、ドキドキしながら電話に出た。
「ねえ、話があるの」
「なに?」
「私と付き合わない?」
突然の告白に驚いたが、僕は当然のようにOKした。
「……本当? 私は真剣よ」、あっさりとした承諾に彼女は拍子抜けしたようだ。
「僕もさ」
「愛してるわ」
「ありがとう」
「そうじゃなくて、愛してるって言って」
「……僕も愛してるよ」
22年の人生で、初めて「愛してる」なんて言った。ウイスキーのせいだろうか、顔がカッと熱くなるのを感じた。ただ、僕もまたそう答えることになんのためらいもなかったことは確かだ。とにかく、こうして僕たちの、直線距離にして18,000kmの交際は始まった。
彼女の国籍が判明したのは、それからすぐのことだ(そう、実は三ヶ月間ずっと知らなかったし、気にしてなかったのだ)。2014年の7月13日の午前4時、僕はワールドカップ決勝を見るために起きていた。向こうは午後4時だ。
「君はどっち応援する? 僕はドイツだけど」
「アルゼンチンに決まってるでしょ」
「なんで? 変わってるね」
「ばかね、私アルゼンチン人よ」
僕の急ごしらえの期待を裏切って、その年はドイツが優勝を果たした。
愛する証拠を見せるためだけにアルゼンチンへ
交際から一ヶ月が経とうとする8月、アントが声を殺しながら泣き始めた。理由を尋ねると、「会いたい気持ちが募るばかりで辛い」と言うのだ。
僕も常々彼女に会いたいとは思っていたが、どうしても会いに行く決心がつかなかった。Skypeでお互いの顔を見ながら話はしていたが、実際に会ってアントが理想と現実の僕の違いに落胆することを恐れていたのだ。遠距離恋愛では、相手のことを美化しがちだから。
だが、画面越しで目の前で泣いている彼女は、間違いなく僕のことを愛していると確信できる。そして、これまでにたくさんの愛の言葉を伝えながらも、愛の証拠は見せてはいなかったということに気づいた。だから、僕は、彼女に言った。「アルゼンチンに行くよ」。
驚きを隠すように彼女は言う、「嘘で慰めないで。余計に傷つくから」。
僕は答える、「真剣さ。しばらくバイトを休んで、君に会いに行くよ」。
翌日、僕は航空券を購入した。昔からフットワークの軽さには定評がある。「約束したでしょ」と航空券の写真を送ると、既読がつくもそのままだ。いつもはすぐに返信が来るだけに、たった2~3分の沈黙が僕を不安にさせる。
やきもきしながらスマホの画面に張り付いていると、動画が送られてきた。アントは同じ部屋にいる妹に聞かれないよう、静かに、でもはっきりと「愛してるわ」と言った。かすかに声がふるえていたのは気のせいではないだろう。
8月22日、僕はアルゼンチンへ旅立った。成田空港を出発し、カナダとチリを経由して、首都ブエノスアイレスへ到着。初南米。じりじりとした太陽と陽気な人々をイメージしていたが、あいにくの曇り空で運転手もそっけない。なんだか歓迎されていないなと思った。
ここまでですでに38時間を費やしていたが、まだゴールではない。アントは中部ネウケン州に住んでいる。事前に言われた通り、現地ではレミースと呼ばれるハイヤーを借り、国内線が出ているアエロパルケ空港へと向かう。世界最長の遠距離恋愛をはじめて肌で実感する。
ネウケンへと向かう飛行機の中で、ここに来て急に「第一声はどうしよう」と悩んだ。対面こそ初めてだが、お互いにもう何ヶ月も前から知っている。「初めまして」はよそよそしい、だからと言って「愛してる」も唐突すぎておかしい。色々考えたが、無難に「やっと会えたね」に決めた。
飛行機が下降を開始すると、少し赤みのかかった大地が見えてきた。無骨で果てしない大地に目を奪われているうちに、到着。現地時刻は15時、成田を発ってから42時間後のことだった。
高鳴る鼓動を落ち着かせるように、「やっと会えたね」を心の中で繰り替えしながら、急ぎ足でゲートをくぐるとそこは待ち合わせ場所のエントランス。「すぐには見つけられないかもしれない」と思っていたが、杞憂だった。アントは、数メートル先にいた。
彼女も僕に気づき、2人の視線が合うと突如周囲の雑音がなくなった。聴こえてくるのは高鳴る鼓動だけ。世界一大きな音は自分の心音なのかもしれない。気がついたら、僕たちはキスをしていた。言葉なんていらない。この瞬間だけは、僕たちが地球上の主役だった。
未来の義父母と「難問」
黄色のタクシーに乗り込み宿へと向かう。滞在先は、赤レンガと真っ青な空とのコントラストが美しいカサ・ボニータ(美しい家)。
乱れたベッドの上で、裸で彼女と横になっていると空腹を感じた。そういえばアルゼンチンに到着してから、まだ何も口にしていない。
アントが頼んだエンパナーダというパイの包み焼にかぶりつくと、みっちり詰まったゴロゴロとした牛肉から肉汁があふれだし、真っ白なシーツを汚してしまった。アントは笑い、「こうやって食べるのよ」とエムパナーダをナフキンで巻いてくれた。
夜になると彼女は自宅へ戻った。一緒に泊まれるものだと思っていたから少しばかり落胆したが、それ以上の幸福感に包まれていた。なぜなら、これまでは時差の関係で、僕が眠るときはアントが活動を始める時だったのだ。でも、今は同じベッドにいなくとも、同じ夜空のもと眠りにつける。時差ボケが入り込む余地などない。そんな小さなことも、僕たちにとっては大きな幸せだった。
翌日、午前中はアントと散歩をした。南米はひとくくりに治安が悪いと思っていたが、そんなことはなく、ネウケン州は林や湖などの自然が多い綺麗な街である。
「これから何する?」
「お昼寝(シエスタ)しましょ。お店も5時まで閉まってるわ」
ベッドに入ると、アントは裸の僕の胸の中にもぐりこむ。とても昼寝の気分ではなかったが、頬に置かれた彼女の温かな手は、いつの間にか僕を眠りにつかせた。
父親が伝統料理を振る舞ってくれるそうで、夜は彼女の自宅に招待された。これは思いもよらない展開だった。彼女にはじめて会った翌日にその両親に会う事態が、果たして日本で起こるだろうか。しかし、これもまた家族を大切にするアルゼンチンの国民性だとのちに知る。
「僕が彼氏ってこと、お父さんたちは知ってるの?」
「知らないわよ」
「もちろん、そうだよね」
「たぶん、彼女がいるかどうか聞かれると思うけど……その時は、あなたに任せるわ」
そう言うと、アントは悪い笑顔でキスをしてきた。戸惑いながらも、21時頃に彼女の家に到着(アルゼンチンはシエスタを挟んだ夜型生活のため、この時間が夕食どきになることが多い)。
母親は、イメージ通りの典型的なラテン人だった。陽気で笑顔が素敵な女性。対して、父親はよくしゃべる人だが、どこか冷めた印象を受ける。どうやらアントの性格は父親似のようだった。
手招きする父親についていくと、ドラム缶のような釜で大量の塊肉を焼いている。これが伝統料理アサードらしい。和牛のように繊細な柔らかさはないが、程よい硬さと肉の赤身本来の旨みが美味しい。何より、肉を食べているという感覚があり、生命力にあふれた気持ちにさえなった。
アルゼンチンらしい薄味のビールを飲みながら食事を楽しんでいると、無邪気な面接官たちから、たくさんの質問が。旅行の理由やアルゼンチンの印象など定番の質問は無難に答えられたが、そうしてついに、恐れていた質問が投げられたのだ。
「彼女はいるの?」
ここでいないと否定するのは簡単だが、アントの前では嘘でも否定したくはない。決心を固め、「いる」と答えると、「きっと日本に彼女がいるんだな!」とその場は盛り上がった。
あぁ、僕の彼女がアルゼンチン人、ましてやこの場にいる自分たちの娘なんて想像さえしていない。思わず隣にいるアントに視線を向けると、彼女は恥ずかしそうに、でも嬉しそうにうつむいていた。そして、机の下で力強く僕の手を握りしめたのだ。
その夜、ほとんど言葉は通じないながらも、にぎやかで居心地の良ささえ感じる時を過ごせた。
愛ゆえにその場でふたりで入れたタトゥー
夢のような時間はあっという間に過ぎる。6日間という滞在日程だったが、これまで募りに募った思いを満たすにはやはり短かった。とうとう出発前日だ。いつものように(とは言っても4回目だが)、午前中は散歩に出かけた。
「ねぇ、ときどき不安になるの。あなたは他に恋人がいるんじゃないかって」
「いるわけないじゃん」
「分かってるわ、でもたまに不安になるのよ」
涙目でそう訴える彼女に、僕は答えた。
「前にタトゥー入れてみたいって言ってたよね。お揃いで入れよっか? アントの彼氏です、って入れる?」
「ばかね」
適当に入ったタトゥーショップで並んで横になり、僕たちは手をつなぎ右わき腹にタトゥーを入れた。彼女は嬉しさを隠しきれないように、こっちを見つめていた。
”24/7 you are my heaven”(一日24時間週7日、あなたは私の天国です)。このタトゥーを見るたび、冷静さを失うほど愛した女の子、そして自分自身を思い出す。
そして、僕たちは初めて一晩を共にした。彼女のお父さんは厳しい人で、外泊許可はなかなか下りない。それを知りながら、僕は「一緒に夜を過ごしてくれ」と意地悪な頼みをした。アサードの難問の意趣返しだ。
彼女は「絶対に戻ってくる」と約束し、家に向かう。困らせてしまったなとさすがに後悔しながらも、それ以上の期待がある。そして、彼女は戻ってきた。嘘をついてきたようだ。僕と一緒になるためについた嘘は、わがままながらも大きな愛の証のようにさえ思われた。
タトゥーを入れて数日は激しい運動は禁止だと言われたが、今日は二人でいられる最後の日である僕らに、そんなことは関係ない。僕たちは、互いの体温や肌をからだに刻み込むよう、激しく抱き合った。
朝一番にタクシーを拾い、空港へ向かう。タクシーは夢物語を一刻も早く幕引きするかのように、猛スピードで走りだす。空港で僕たちは涙を流し、最後のキスをして、「また会えるよね」という彼女に僕はこう答えた。
「I’ll be back soon(すぐ戻ってくるさ)」
ブエノスアイレスに到着すると、彼女からメッセージが届いた。涙目で読んでいたが、最後の文に目を通すと思わず笑いがこぼれてしまった。
「最後、ターミネーターみたいだった」
だけど……2人は赤い糸でつながっていないかも
日本に戻ると、再びインターネットが2人をつなぐ日常が始まった。この頃には遠距離恋愛の楽しみ方の幅も広がり、Skypeをしながら、同じ映画を観たり、外出をしたりした。
日本の風景はアントにとって楽しいものだったようだが、とりわけ興味を引いたものが、UFOキャッチャーである。リラックマ好きの彼女のため、深夜にSkypeをしながら1人で池袋のゲーセンに出歩くことが多くなった。
永遠に一緒にいられる日々を夢見ながら、僕たちは毎日を過ごした。ただ、心のどこかでそんな夢は叶わないかもしれないとも感じていた。
ネウケンでの日々を思い彼女が涙を流すことが多くなり、僕もまた以前よりも彼女を恋しく思った。離れているからこそ、一緒に過ごした時の思い出は鮮明なままである。このまま会っては離れて……を繰り返す関係性は、あの日を過ごした僕らにとって辛すぎる。
そのとき僕は、大学生活最後の冬休み、そしてすぐあとに春休みを迎えようとしていた。この人生最後の大型連休を終えれば、社会人。まとまった休みを取るのが難しくなる。つながっていたように見えた赤い糸は、アルゼンチンから日本までつながるどころか、実はブラジルあたりで早々に切れているのかもしれない。
結局これは、つかの間の夢物語なのだ。もしそうならせめて最高の夢にして終わらせたい。そこで僕は、12月に彼女を日本へ招待することにした。
「君のリラックマ、引き取りにきてよ」、僕は言う。
「行けるものなら行きたいわ」、彼女は寂しそうに笑う。
「じゃあ、12月においで。そっちは夏休みでしょ?」
「何言ってるの?」
「僕が航空券を買うから」
こうして彼女を日本へ招待した。望まないながらもハッピー「エンド」を作るため。
後編につづく。
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編集:ネルソン水嶋
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