『がぅちゃんと性なる理想郷』前編:ぼくはホーニーなバガボンド

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元セフレの彼氏と暮らし、気づけばライターになっていた

僕はイスラエルで暮らしている。ライターと名乗り始めて5年になる。同時にこの数字は、僕と彼氏が一緒に暮らした時間でもある。

ん? 僕と彼氏とは。

ゲイである限りこのくだりを死ぬまで繰り返すことになるので(巷ではカミングアウトというらしい)、せっかくだから一挙に説明しておきたい。

僕の彼氏はアメリカ人。国務長官のマイク・ポンペオに似てる。でもマイク・ポンペオが岡崎体育のような三十路のアジア人と付き合っていたらセックスツーリズムに見えるので、僕たちは存在自体があやしくいかがわしい。それでも僕は肥えた年寄りのガイジンが好き。巷でいうデブ専・フケ専・ガイ専、全て兼ね備えた、ぶりぶりのハイブリッドゲイだ。

僕らはマイノリティ。国籍、人種、年齢、性別、どれをとっても少数派。もはやLGBTとかいう四字熟語では説明しきれず、どこに行っても浮く。奇異の目に晒されるのも珍しくなくて、なんなら笑われたこともある。ごはんを奢るのもカップルなら自然なはずなのに、僕らがやるとパパ活みたいな雰囲気がでる。

何をやっても目立たないふつうのゲイが羨ましい。ワニさんもなかまにいれてあげてよ。

じゃあそれでいいの? よくないけど仕方ない。いつも絶対に何かしらの文句がある。でも絶対に妥協はできない。つまり絶対に矛盾するから、もどかしい。でもでも、僕に「ラブマップ」を更新させつづけた「性なるコンパス」がそう示すんだから、こればっかりは本当に仕方ない。

 

性なるコンパスでラブマップを更新していく

性なるコンパスは「能力の発現」に近い。ある日ミュータントが能力に目覚める、人間がバンパイア化する、いま流行りのあの漫画で言うところの痣者になる、こういうワクワクした感じだ。このコンパスにゲイとかヘテロとかセクシュアリティは関係ない。性欲がある限り、みな潜在的に同じコンパスをもつ。ゲイにはゲイの呼吸があるが。

しかしコンパスの方角は「おっぱい」から「森で搾った野鳥のうんち」まで様々で、危険な地域ほど歩みは慎重になってくる。無謀に突き進みすぎたら、快楽を通り越して本当に25歳くらいであの世に入国してしまう。故人の逝き先がどこであれ、その手にコンパスを握りしめたなら、己のコンパスなりのラブマップが更新されていくのみだ。

複数人のラブマップを俯瞰した際、セクシュアリティを超えて共通の地域が記録されていることがある。例えば、豊満な女性を好む男性と、豊満な男性を好む男性。彼らのコンパスは「性別」より「体型」を指していることがあって、体型という共通の地域において、セクシュアリティを超えた共通言語が存在する。いわゆるバイセクシュアルに該当する地形でもある。

ラブマップは性なる地図だ。心理学者であり性科学者でもあったジョン・マネーが言ってたLovemapに近いが、僕には僕の解釈がある。性的な経験や欲望の理解が更新されるたびに地形や地層が入り組んで、地域の解像度が高まる。そんな冒険を導くのが性なるコンパス。そういう関係だ。しかしたいていの場合、気まぐれに磁場を狂わされたコンパスによって、近場でテキトーなセックスを繰り返し、どこにもいけない螺旋の中で、クルクル回って死んでいく。

そんな人生、絶対に嫌だ。馴れ合いの螺旋なら、僕は降りる。

僕はとことんやる気でいる。どこまでもいきたい。性なる理想郷にたどり着くまで。性なる地図-ラブマップ-に国境はない。己の性なるコンパスだけを信じる。一生ホーニーなバガボンドで、一向に構わない。

幸運にも僕はライターとして、文字でかたちにする術を覚えた。無形を有形にしていく具現化系のハンターだ。コンパス片手に、真っ赤に充血した目でいつも狙っている。見つけ次第、絶対にちぎれない文字の鎖で縛り付けて、ラブマップに記録していく。この旅の果てに理想郷が見えると信じて。

お待たせいたしました、お待たせし過ぎたかもしれません! など言いたいところだ。ではこれから、三十路のゲイの性なる旅路について、言葉ではめていこうとおもう。

高校生の時に、イギリスの公衆トイレでコンパスを拾った

僕は17歳で性なるコンパスが発現している。というか、イギリスのLewesという田舎町の公衆トイレに落ちていた。高校生の時にシングルマザーの母が稼いだなけなしの金で、半年間の語学留学をさせてもらった。語学学校の手前にある駅の公衆トイレに、毎週火曜にあらわれる、恰幅のよい白人の中年男性がいた。

彼は界隈で人気の俳優のTim Hooperに似ていた。なぜか全身レザーの彼は小便器の前で突っ立っており、回り込んでよく観察すると、小便器に”向かって”たっていた。このときから僕のコンパスは、公衆トイレを指し示すようになる。

当時住んでいたイギリスの部屋。

いつもの通学路からの景色。

語学学校の隣町にブライトンという海の町があった。ゲイではない日本人の男友達なかよし四人組で、毎週のように通っていた。当時ブライトンはちょっとしたゲイタウンと言われていたが、その頃の僕は自分がゲイである自覚がなく、けっこう他人事だった。

当時のブライトン。

観光名所の「Brighton Palace Pier」。

ブライトンから見えるイギリス海峡。

昼前に到着してチャイニーズレストランで一服し、服屋を数軒ハシゴしてからスタバかネロカフェで時間を潰して門限までに帰る。僕たちはたびたびチャイニーズレストランに開店前におしかけ、ある日ついに、歳をとった芸人のナダルみたいなおっちゃんの店員に「too early, man!(君ら早すぎや!)」と言われてしまった。

トゥ! アーリー、(一拍おいて)、メーーーン? おっちゃんは僕たちの兄貴分を気取ろうとしていた……かどうかは今となってはわからないが、慣れないスラングを中国訛りのアメリカ英語でぎこちなく発音した。

僕たちの間でおっちゃんのあだ名が「too early man」になったのは言うまでもない。

「too early man」は僕たちのおもしろフレーズになった。待ち合わせ場所ですでに待ってるやつに対して「too early man」、一番最初に家に帰ろうとするやつに対して「too early man」、なにかと時間が関わる場面で「too early man」を言いまくるという、愛すべき高校男子のノリが生まれた。

チャイニーズレストランがあったPreston通り。

チャイニーズレストランの後にいつも行くショッピングモールがあった。仲間とトイレの小便器で用を足していたら、隣に挙動不審な男が現れた。モダン・ファミリーのミッチェルに似ている。めちゃめちゃ見られて怖かったが、恐怖はそのまま好奇心に変換された。ぐしゃぐしゃ音を立ててその場で広がっていくラブマップ。解像度の高まりを感じた。友達が先にトイレから出た後に個室にわざと入ってみると、ミッチェルは隣の個室に入ってきた。さあどうする? ミッチェルはトイレの下から顔を出してきたが、このとき僕はこれに対処できなかった。

トイレの下から顔を出す場合、その口めがけてしゃがみこんで淫部を挿し出すのが正しいみたいだ。ただし逃げにくいので、攻撃に徹した上級者向けの構えといえる(公共の場でのセックスは推奨しない)。個室のななめ下の隙間からナナメウエな攻撃をされた僕は好奇心が代謝不良を起こし、パニックになった。とっさに「what the fuck」と覚えたてのアメリカ英語を使ったら、すぐにミッチェルは出て行った。

どうやら「what the fuck」の使い方は正解だったみたいだ。

いまでも公衆トイレでのハッテン事情の理解はここでのエピソードがベースになっている。ミッチェルの移動速度や判断のスピードは平均と比較して尋常でない速さだったことも、今ならわかる。彼は経験豊富な手練れだったし、引き際も時期尚早。もしかすると彼が本当のtoo early manだったのかもしれない。ワタファックn’ブラッディヘル。

ブライトンのミュラルアート「the Run DMC Mural」。

 

日本に帰って浪人し、コンパスを一時紛失する

イギリスの田舎で拾ったコンパスをなんとなく僕は捨てられず、そのまま京都の実家に持ち帰った。しばらく机の上でクルクルしていたから、アテもなくいじったりしてみた。どうやら磁場は荒れていたらしい。思春期真っ只中の僕にはうまく扱いきれず、ラブマップは更新されなくなり、コンパスもいつのまにかどこかに消えた。でもなんとなくイギリスに行ったせいで、なんとなく海外に興味を持ち、なんとなくヨーロッパを意識しはじめた。ときどきトイレのTimを思い出しながら。

門限を破って見に行った、ロンドンのウェストミンスター宮殿。

つるんでいた愛すべきtoo(な)early(か)man(ま)たちは文字通り早々に進路を決めていき、取り残された僕は勉強も御座成りに地元の私立大学に漂着する。なんとなくイギリスに近づけそうな気がしてフランス語を専攻したものの、早さに憧れた僕は、1回生*の間はフランスに交換留学できないことを知り、前期終了で退学してしまった。仲間もいなくなってアンニュイな水面で漂流する僕は、寂しさのあまりコンプレックスという相手に難破してしまう。(*京都の方言で、大学生は〜回生と呼んだりする)

四条河原町という腐った海で、前の大学の元クラスメイトの女子が前方から流れてきた。「えぇひさしぶりぃビダイーどこそこぉあはぁニートやん」と言われ、そのまま顔面をバックハンドブローしかけたがやめた。だって「バックハンドブロー!」は仲良し四人組だけのあいさつだし、きみは僕らの仲間じゃないし、寂しさで溺れていた僕に余裕なんてなかった死。ところで「バックハンドブロー!」は「タカアンドトシ!」と同じフローの関西弁を唱えながら回転してくりだすーー。

木屋町まで逃げ切った僕は息を整え歩いているとそこには占いの老婆が……ってこれは違う話なのでやめておくが、四畳半くらいちっぽけで壮大だった僕たち四人のイギリス物語は、スタンドバイミーみたく切ない最高傑作として僕を呪い続けた。誰にも当たらない空振りのバックハンドブローでいいから、そのまま回転し続けて人生を巻き戻したい。好機はいつも目の前にあるのに。

仲良し四人組。

仲間達が就職活動をはじめるころ、僕の2回目の1回生が始まった。瀕死でダイガクへ上陸すると同時に、唯一のバディだったずぶぬれのコンプレックスは干からびて死んだ。やつの表面にこびりついた友情のメモリーのかけらを探したがもう形はなく、僕には何も残されていなかった。

21歳、からっぽのフレッシュマンにとって、入学式は卒業式-じごく-だった。カラカラに枯れた晴れ舞台でピカピカの新入生-こども-に囲まれ、いよいよひとりぼっちになった。今思えば僕は「too late, man」だったのかもしれない。

このとき、イギリスから帰国して4年がたっていた。

京都の円山公園の桜。

カランコロンカラーン、ごめんやしておくれやして。友情も目標も嫉妬さえも失った僕の目の前に、またあのコンパスが現れる。

 

大学生になって取り戻したコンパスがカナダを示す

はやく海外に行かなくては。

焦燥感だけがあった。イギリスの興奮を取り戻せ! そう常にけしかけられている気がした。しかし焦る気持ちとは裏腹、コンパスは静かに一定の方角を示すようになる。それがカナダのハリファックスだった。僕はひとりっぼっちの大学生活の第一目標を交換留学に据えた。行き先は自動的にカナダ一択、というか学部生の僕にはその一校しか選択肢がなかった。

当時住んでいた、京都・洛西の部屋。

留学に向けて、洛西の田舎の学生マンションで毎朝SATC(セックスアンドザシティ)をシャドーイングした。作中の煌びやかなNY生活に(というかサマンサに)嫉妬して、磁場を狂わされたコンパスが生意気にもアメリカのイーストコーストを指してきて煩わしかった。でも日本から見たハリファックスは偶然にも同じ方角だったので「NYが呼んでるからついでにカナダに行くんや」ということでこのリビドーを処理した。

部屋から見えてた景色。

朝はイーストコーストを示すコンパスが、夜はしれっと大阪を指す。ブレたように見えたコンパスの針は、実はこの二点を行き来していたのだ。トイレのTimや素早いミッチェルに、また会いたい。ガイジンだから好きなのか、おっさんだから好きなのか、体がごついからすきなのか、本当は何が好きなのか、もっともっと知りたかった。コンパス片手に夜の街へ繰り出す。ぐしゃぐしゃのラブマップに穴があくほど書き込んでいく。

あの頃の大阪には全ての答えがあったし、梅田は僕のマンハッタンだったーー。

梅田のホテル街。

SATCのシャドーイングとセックスライフで記しあげたラブマップで予習は完璧。満を持してカナダの地に降り立つ。しかし学校生活は忙しく、講義は講師のライブといった様子で、サボるサボらないの発想以前にサボれないという感覚だった。でも4回はサボれるとシラバスに書いてあるので、名門大学の母校ノリでサボってみたところ、リーチがかかった授業の終わりに呼び出され、「次休んだら、out」と真顔で純然たる説明をされた。

言ったね! 母校でも言われたことないのに! 教育の質が違いすぎた。

カナダの大学のくつろぎスペース。

写真の基礎クラスをとっていて、一学期間ほぼ毎日同じメンツで授業を受け続けた。 最初の授業で先生が学生の名前を呼びながら出席確認をしていて 「え〜では、男の子○人、女の子○人」と先生がその場をまとめようとした時、「actually, she is he(いや、ちゃんじゃなくてくん)」と誰かが言い放った。

緊張が解けかけた教室が今一度ピリつき、でもすぐに皆が察した。そのクラスにはトランスジェンダーの男の子が一人いたのだ。不本意ながら空気を壊すけれどもそれは覚悟の上で最低限マナーを守りつつ誰も不快にさせないように、述べる。やれやれだぜ。静かな決意が彼の目には宿っていた。

僕はゲイと言う必要にあまり迫られないけれど、彼にとっては毎回の自己紹介がカミングアウトなのだ。ただし「トランスジェンダー」とカミングアウトしたところで「母子家庭」くらいのインパクトしかなかったみたいで、誰も騒いでいなかった。

“カナダは気候以外もクール” 僕は素早く、隠し持っていたラブマップに補足した。

カナダのいつもの通学路。

ガイジンが好きだった僕にとってハリファックスの男性はたびたび目の保養-eye candy-になり、好みの比較分類の機会が日本の比じゃなかった。京都だったらバスと電車を乗り継いで2時間かけて遠征しなければ会えないレベルの男が、ハリファックスには徒歩圏内にうじゃうじゃいた。

おかげで、僕が好きなガイジンとは「人種で分類すると白人に該当するケースが比較的多いだけ」という結果がわかった。アジア人の男性器は小さいというのはデマで、人種を超えた人間の魅力が間違いなく存在することにも気づきだした。ガイジンじゃない加山雄三が好きな理由が、この時すこし解明された。

ラブマップの「人種」の地域でブレイクスルーを起こした3人。左から、加山雄三(日本人)、マイク・ホンダ(日系アメリカ人)、ジミー・ペイジ(イギリス人)。撮影者は、Jackie PAPERAvdaパブリックドメイン

町で唯一のゲイサウナは、夕方はゲイたちの憩いの場になっていた。日本で出会った日本人の中年ゲイは妻子持ちでクローゼット*もざらだったが、ハリファックスでは、騙す理由が原因ごと消え去り精神衛生が良さげなおっちゃんが多いように見えた。(*性的マイノリティであることを公表しない、または隠している人)

日本だとラブマップをコンパスごと自主返納してしまいイき場を無くしてうだつが上がらない様子も散見されるが、カナダではおたがいのコンパスとラブマップを堂々と見せあいっこできる機会も多かった。

性の喜びを知りやがった僕は、容赦ない北米の大学教育ばりにラブマップを更新していく。

ゲイサウナがあったGottingen通り。

 

持ち帰ったラブマップに、愛だけがない

3回生後期、たった一学期間の短い交換留学を終えて、再び京都に戻ってきた。ラブマップの解像度はずいぶん高まっていて、日本でやることは地形の再確認程度にとどまっていた。たまにハッテン場に繰り出してみても、福士蒼汰みたいなイケメンとすごす空間でひとりため息をつくことが多かった。あんなに大きかった大阪も、小さく見えてしまった。

梅田のどこがマンハッタンやねんーー。京都のゴードン・ラチャンスの旅は終わりかけていた。

堂山町から見た朝の梅田。

またしても一人ぼっちになった気がした。顔、体、性器、性癖、技術、人柄、雰囲気etc。いろんな男性のいろんな要素を捕獲してはラブマップに反映させてきた。素敵〜でもさよなら。をくりかえして。

更新し続けた僕のラブマップに唯一ないもの、それは愛だった。

プラトニックなセックスとかそういう次元も超えた、無条件の愛。おじいちゃんが孫におしみなく注ぐあれに近い。不平等かつ不公平とさえ言える、無条件で一方的にそそぐ絶対的な愛。僕の愛するマイク・ポンペオには、それができた。

性なるコンパスが、すこし狂いだす。

イーストコーストのワシントンD.C.の夕焼け。

マイク・ポンペオとは、カナダに行くすこし前に六本木で出会った。カナダにいた時も奇跡的につるんでいたから、縁があった。彼が東京からイーストコーストに出張した時など、飛行機で約4時間の距離のハリファックスから会いに行ったりしていた。いやはや遠距離恋愛とは? 距離を解決するのは交通機関なので、恋愛をしている僕にはかなりどうでもよかった。

 

とりもどした束の間の青春と、ドイツへの旅立ち

4回生になってマイク・ポンペオはドイツのベルリンに移住し、僕はちょくちょく授業をサボってベルリンに会いに行ったりしていた。コンパスはもはや日本に反応を示さなくなり、暇なので大学の飲み会などに積極的に参加しだした。卒業間近、完全に酒の力で友達を手に入れ、油絵を専攻するきゃりーという女友達とつるむようになる。

ベルリンで小便器(PISSOIR)に扮する奴隷犬のゲイ。

僕がマンハッタンと畏れたあの梅田を「庭」と豪語するきゃりー。彼女のおかげで出入りできるゲイバーもあった。そうこうしているうちに、彼女は僕のラブマップを絵画で表現し始める。それまでは素直にきゃりーぱみゅぱみゅとかを描いていたのに、僕と出会い、おしっこをかけられた奴隷犬のゲイなどを描くようになった。 僕のセックスライフが、彼女の単位に変換されていく。

「PISSOIR」の前で記念撮影するきゃりーと僕のおかん。

さらにきゃりーは、卒業作品展で高さ2.2メートル・幅3.3メートルに及ぶゲイゲイしい巨大絵画を描き、京都市から賞金付きで表彰された。アイデアやモチーフを僕のラブマップから引用していたので、自分のセックスライフと友情が、故郷で正式に承認された気がして嬉しかった。友情を手に入れ、予想外のラブマップもちゃっかり更新できた僕は、つかのまの大学生ライフを謳歌した。

きゃりーの卒業制作「ある日のEX~レーガンさん~」。「EXPLOSION」は大阪を代表するゲイクラブ。

転勤するけど、一緒に暮らす?

そうマイク・ポンペオに言われていた。同棲以前に彼氏という存在自体が未知で、ゲイの聖地と名高いベルリンの解像度もゼロに等しかった僕は、行かない選択肢が無いという感覚だった。海外に行きたかったからまあいいか(イギリスにも近いし)、そんな軽いノリもあった。これがイケない選択肢だったことも知らずに。

卒業式をすませ、梅田スカイビルでワーホリビザを取得し、京都の実家から速攻でマイク・ポンペオの家に向かった。六本木にいた頃は「知らんおっちゃんについていく怖さ」みたいなものが僅かにあったが、ベルリンの家に到着した頃には、そんな感覚は跡形もなく消え去っていた。

ベルリンの観光名所「Brandenburg Gate」。

ハーロ! 性なるコンパスが「愛」を示し、そういえば夢にまで見ていた僕の海外生活が始まる。

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

がぅちゃん

がぅちゃん

イスラエル・テルアビブ在住のネイティブ京都人。京都市立芸術大学卒業後、米国人の同性パートナーとベルリンに移住し、ライターとして活動を開始。旅メディア・世界新聞の編集長を経て現在に至る。日本、イギリス、カナダ、ドイツでの生活経験がある。ブログツイッターユーチューブ

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