高級住宅街のすぐそばには下町やスラム街、バンコクの裏通りを歩こう。
タイ × 世界カルチャーサミット 社会
※本記事は特集『ライターがオススメする裏観光』、タイ・バンコクからお送りします。
タイの「裏観光」は高級エリアの裏側にぴたりと潜む
タイは、日本からのフライトが6時間程度というほどよい距離と、見どころの多さからたくさんの日本人が訪れることはご存知の通り。長期滞在者も増え、バンコクだけでも数多くのブロガーたちが暮らしており、彼らによってたくさんの「裏ネタ」がネットを賑わせている。
それであれば、「裏観光」についてあえて難しく考えず、文字通りただの「裏」を覗いてみたらおもしろいのではないか。どういうことかというと、ガイドブックはショッピングモールや有名飲食店の集まる表通りのことばかりで、そのひとつ裏に入ったらどんな場所になっているのかはあまり知られていない。
そこで在住歴が合計で18年におよぶボク高田胤臣が、みなさんにバンコクの「裏」を紹介しようと思う。観光大国タイの首都バンコク、しかしその裏側には下町が広がり、田舎と変わらない雰囲気であふれていた。
トンロー通りの裏は、まるで田舎の風景だった。
トンロー通りは在住日本人が多いエリアでもあり、大半の住人が日系企業駐在員とその家族だ。大半が日本人現地採用者よりも高給取りであるし、会社から家賃補助も出るので高級コンドミニアム(高級マンション)に暮らす。また、トンローはタイ人のハイパー富裕層向けのバーなども並び、バンコクでも特に生活費の高い地域として知られる。
そんなトンロー通りの裏路地は、意外な風景が広がっていた。
裏路地が網の目のようになっていて、一部の路地は別の繁華街への抜け道になる。裏通りでありながらほとんど大通りのような機能があり、大通りから離れてもなお飲食店なども高い店が並ぶ。一方で、トンローエリアの北側に面するセンセーブ運河付近は道がすべて行き止まり、やや不便な場所になる。
センセーブ運河は1837年、ベトナムとの戦争のために武器や食料を輸送する通路として、ラマ3世王の命によりチャオプラヤ河とタイ東部のバンパコン河を結ぶために造られた。開拓には、現在深南部と呼ばれるタイ南部地方にあったマレー系王朝のパタニー王国の捕虜などが徴用されたという。そのためか、センセーブ運河沿いは今もムスリムやモスクが多い。
昔からある運河なので、今でこそ外国人や富裕層が集まるエリアとして知られるトンローだが、以前から集落があったと見られ、その名残が裏路地残っている。それはセンセーブ運河に近づくほどより顕著で、まるでタイの田舎に来たような錯覚さえ覚えるほど、のどかである。
この地域には昔ながらのアパートや高床式の木造家屋が並び、また地域住民のための屋台が路地を占拠している。さらに、その辺りには当たり前のように鶏が闊歩しているなど、到底バンコクとは思えない風景があった。
見た目こそ田舎ではあるが、都会の真ん中にあることには違いない。日本人が入居するコンドミニアムなら月家賃15万円前後が相場だろう。しかし、不動産業者に聞くと、この辺りのアパートはアパートらしく4000バーツ程度(約14000円)から借りられるようだった。ただし、エアコンもエレベーターもない、せいぜい20平米ほどの小さな物件ではあるが。
都会なので便利、かつよりノスタルジックなバンコクを感じることができるのが、トンロー通りの裏道なのであった。
高級繁華街から一歩裏に入ったら、そこはタイ最大のスラム。
高架電車のBTS、プロンポン駅周辺は、今やタイ最大の日本人ショッピングスポットとなっている。高級商業施設が並び、日本人経営の和食店も多数ある。おそらく今現在において、バンコクで最も物価と家賃が高いのがこのエリアだ。
そんなプロンポンをわずか数キロほど「裏」に行くだけで、トンロー通り同様にまったく次元の違う世界が広がっていた。タイ最大と言われる「クロントーイ・スラム」だ。
クロントーイ・スラムは、クロントーイ港を管轄する港湾局の土地を、港の日雇い仕事を求めてやってきた地方出身者たちが占拠し始めたのがきっかけで形成された。1940年代の戦後にバンコクにスラムが見られ始め、1960年代の経済成長期に規模が拡大。スラム化の初期こそは数十の世帯しかなかったが、現在では8万人を超える住民がクロントーイに暮らしているという。
バンコクはタイの全人口の10%が暮らすと言われ、そのうちの実に20%がスラムにいるとされる。プロンポン駅周辺とクロントーイ・スラムのコントラストは、まさにタイの格差社会を象徴するかのような違いである。プロンポンでは数百バーツもするランチを気軽に楽しむ人がいる一方で、スラムでは1日に100バーツを稼ぐことに苦労する人もいる。
しかし、その貧富の差が幸せに比例するのかというと「実はそうでもない」と、実際にクロントーイ・スラムを歩いてみて感じることだ。密接した家々と同じようにスラム住民らの人間関係も近い。住民に話を聞くと、ケンカなどはあるものの殺人などの重大な事件はスラム内で何年も起きていないという。むしろ、スラムの外の方が治安はよくないほどだ。
住民は元々出稼ぎ労働者だったので、いい意味で田舎気質が残る。互いに助け合い、金はなくても日々笑いながら過ごしている。暗黒街と呼ばれることもあるスラムだが、少なくともクロントーイのスラムは住民が幸せそうに見えた。
タイ人の私生活だって外国人旅行者から見れば裏世界
路地裏について紹介したが、場所を問わず、タイ人の私生活だって、日本人をはじめとした外国人旅行者から見れば裏世界だと言っていいだろう。
タイは東南アジアの中でも屈指の屋台天国だ。深夜営業の屋台もたくさんあり、24時間、小銭さえあれば食事に困ることはない。この文化の影には、地方出身者や若い人が入居する安アパートには台所がなく、そもそも常夏の国なので冷蔵庫があっても食材は傷みやすく、ひとり暮らしや少人数の世帯では自炊よりも食費が浮く、などという理由があるのだろう。
同時に、タイの集合住宅はガスが禁止であるため東京などのように都市ガスもなく、台所が置きにくいという事情もある。しかし、バンコクのタイ人が一切自炊をしないのかというとそうではない。電気鍋や電気フライパンなどがスーパーで売られているので、そういったもので料理をする。
特にイサーン地方(タイ東北地方)出身の世帯だと、青パパイヤのサラダ「ソムタム」を作る臼を持っていることが多い。ぽくぽく叩いてソムタムを作るのだが、これが実は便利な調理器具なのだ。というのは、タイ料理は肉やシーフードを焼いて食べる際にタレを使うのだが、それを作るのもこの臼だ。ニンニクや唐辛子を叩いて、そこにナンプラー(魚醤)や砂糖を入れればあっという間にタレができあがる。
生活の中で感じるタイ人の宗教観も裏っぽい
タイには敬虔な仏教徒が多いということはよく知られていることだろうが、どこまで密接に生活に関わっているかまではわからない人も多いでしょう。
タイにはもちろん、キリスト教徒やイスラム教徒もいる。しかし実は、彼らの生活習慣もほとんど仏教徒と変わらない。これはタイに仏教が伝来する前にあったアニミズム(精霊信仰)の影響で、様々な宗教が、元々あったタイの習慣に近づく傾向があるからだ。だから、そこに伝来したルートが違うことも輪をかけて、仏教も日本のそれとは大きく違う。
日本との違いのひとつにたとえば、仏教徒の男性は一生に一度は出家して僧になる。小さいときに先になってしまう人と成人してからなる人がいれば、また、家に不幸があると家族の代表として寺に入ることもある。出家期間は短ければ1日からなど、わりと臨機応変なのもタイらしい。
それから、寺院などで読経のあとにタイ人は「サートゥ」と言って手を合わせる。この言葉も日常生活でよく使われる。タイ日辞書で調べるとまさに合掌といった意味だが、わりとジョークのような使われ方でよく耳にする。
例えば、「宝くじが今回当たると思うから、来月車を買おう」と口にすれば、すぐさま「サートゥ」と返ってくる。この場合では「はいはい、わかりました」といった呆れた雰囲気があるのだが、すぐさま「サートゥ」が出てくるあたりにボクは仏教が身近なんだなと感じるのである。そんな点も旅行ではなかなか出会えないタイ人の裏の顔なのではないだろうか。
このようにタイの「裏観光」は「身近」と表裏一体になっているのではないかと思う。見慣れた通りもちょっといつもと違うルートにするだけでタイの「裏」を発見できるはず。ただし、タイは日本より治安が悪いので、暗くなってから無闇に奥へ奥へと進まないように気をつけよう。
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編集:ネルソン水嶋
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この記事を書いた人
高田 胤臣
1977年、東京生まれ。1998年に初訪タイ、2002年からタイ在住。タイの救急救命慈善団体「華僑報徳善堂」唯一の日本人ボランティア隊員。現地採用社員としてバンコクで日系企業数社にて就業し、2011年からライターになる。単行本数冊、AmazonKindleにて電子書籍を多数発行。執筆のジャンルは子育てネタからビジネス関連まで多岐に渡る。最近は「バンコク心霊ライター」の肩書きがほしく、心霊スポットを求めタイを彷徨う。