ケイコさん

チリ国内の飛行機移動と現地ツアーについて

  • 国内線、現地ツアー

ケイコさん

9月にサンチアゴ、アタカマ、パタゴニア辺りを二週間ほどで周る予定です。時間が無いので飛行機での移動となります。調べたところ国内線はLATAMエアーとSKYエアーが有るみたいですが、どちらがイイ(安い、安心、遅延が少ない等…)とかありますか?出発がヨーロッパなのでLATAMエアーで周遊券を取るのもアリなのかな?とも思っています。
また現地では足が無いのでツアーに参加する予定です。ツアーは旅行前にネットで決済して申し込むのか天気などの状況を見ながら現地で申し込むのかどちらがイイでしょうか?
南アメリカは人生初めてで多分最後の訪問になると思います。比較的安全という事でスペイン語はほぼ分からないのですが(夫はイタリア語が出来ます)チリに決めました。二週間という限られた時間ですが楽しい思い出を作りたいと思っています。

2019年1月13日 19時4分

ピーテルさんの回答

サンティアゴ在住のロコ、ピーテルさん

   
ケイコさん
1)9月まで時間があるのでゆっくり調べてください。
2)9月は観光シーズンではないですが、建国記念日18日の前後は飛行機・ホテルとも混むでしょう
3)南部はその頃、雨が多いので準備が必要です
4)私はLATAMが好きです。
5)日程
  1日目 STGサンティアゴ到着
  2   市内観光
  3   北部のカラマへ
  4,  カラマ
  5   夜STG戻り、空港前ホテル
  6-9 12州 プンタアレナス
  10-12 10州 プエルトモン
  13   STG 戻り
  14   帰国
細部は後日お教らせします

2019年1月15日 1時40分

この回答への評価

ケイコさん
★★★★★

ご親切な回答を有難うございます。寒さだけでなく雨対策もしないといけませんね!建国記念日のインフォも有難うございます。多分日程に入ってしまうと思います(苦)…。是非参考にさせて頂きます。

2019年1月15日 2時15分

追記

サンティアゴ在住のロコ、ピーテルさん

私のパタゴニア    Mi Patagonia
                       藤尾明憲 Peter Fujio   2016年
パタゴニアについて何か書いてみる気になった。パタゴニアはチリだけでなくアルゼンチンにも広がる大地のことだが、チリのパタゴニアを中心に私が経験したことを書きたい。
私はチリに1979年に入国した。タイヤの仕事についてパタゴニアの中心地プンタ・アレナスに最初に行ったのは 1981年。もう35年も昔のことだ。長男が生まれたとき、私は直ぐに病院に行けなかったが、それは出張でプンタ・アレナスに行っていたからだ。懐かしい思い出。
歴史的な事実から話を進める。                          この地方がパタゴニアと名付けられたのはマゼランの航海の時だ。1520年のことになる。チリへ来た最初の欧州人が彼らになる。ピサロがインカを滅ぼしたのはそれよりかなり後の1531年のことだ。そしてスペイン人がペルーからチリに入ったのは更に後になる。                               スペイン語でパタは足、ゴンは大きい。パタゴンは足が大きい人と言うことになる。つまりパタゴニアは「足の大きい人が住むところ」英語風で、ディズニーランドみたいにすればパタゴンランドになるだろう。                                     スペイン語で鼻はナリス。つまり鼻がでかい人間はナリゴンとなる。そんな場所はないか。  さて何故パタゴニアと言われたかには二つ説があって、一つは巨人がその地区に住んでいた。もう一つは裸足では寒いから動物の皮をはいで靴にしていたので彼らの足跡が巨大に見えた。確かにその地区で見つかった人骨で身長が2メートルを超える人間がいたことは確認されている。彼らはテウエルチェ族と考えられている。(ヤーガン族とも言われる)この地区で有名な種族はヤマナ族(オナ)で祭りのときには全裸で身体中にペイントする。その写真はパタゴニアの土産物屋さんに行けばどこでも飾ってある。                                    
マゼランが船から見たとき、陸地に赤々と火が灯っていたので、彼らはそこを「火の大地」と名付けた。これを聞いた時、私は先住民は石油・天然ガスを燃やしていたのかと思ったが、違っていた。(彼らは火打石を使っていたことが分かっている)パタゴニアに石油・天然ガスが見つかったのはごく最近、20世紀になってからの話。その大半はアルゼンチン領から採掘されている。                              日本語ではその陸地をフエゴ島と呼んでいるが、マゼランは島でなく陸地と呼んだわけだ。                                  フエゴと言うのはスペイン語で「火」のことだ。                  それから、マゼランと言っても世界の誰も分からないだろう。彼はポルトガル人で本名はマガリャンイスだが、スペイン語ではマガジャネスとなる。彼をマゼランと言うのは日本だけだ。
西回りで世界一周を目指したマゼランは三つの問題を抱えていた。先ず組織の問題。そして食事の問題。最後の一番厳しい問題はルート捜しだった。                             1519年、彼は5隻の艦隊の隊長としてスペインから航海に出た。乗務員は合計270名と言われる。                                   組織の問題とは彼はスペイン艦隊の総監督だったが、スペインと争っている敵国のポルトガル人だったことから、艦隊を形成した船の艦長から全面的な信認を得ていたわけではなかった。実際、航海が始まってから反乱がおこり、反抗した幹部を殺す最悪の事件まで起こっている。その時は権力を利用して表面的な平静を取り戻したが、最後までマゼランは彼らの信頼を勝ち得ることはできなかった。                                     食事の問題は、2年間で世界一周を達成する計画で食料を準備したが、食料不足が深刻になってしまう。例えば堅パンを100トン用意したが、すぐにパン粉になってしまい、中に虫があふれる。しかしそれを食べるしかない。またネズミが現れると、それも殺されて乗務員の腹の中に入って行った。マゼラン海峡に入った段階で食料品の在庫が後3か月になってしまい、先を懸念した1艘の船が、自分たちの食料品を積んだまま味方に連絡することなく本国に逃走すると言う事件も発生している。                       
最後のルートに関しては、500年たった現在に、その

2019年1月15日 18時45分

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