「日本の強要」は悪手! 自由と故郷を愛するタイ人の働き方とは

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※本記事は特集『海外の働き方』、タイからお送りします。

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タイ人との「本当の働き方」を知りたい人へ

タイは政情不安と、ときに洪水などの自然災害もあって、日系企業が打撃を受けることもしばしばです。それにも関わらず、タイで暮らす日本人の数は年々増加しています。いろんな国から人が集まるのはタイの風土でもありますし、タイ人自身のおおらかさも日本人には魅力で、一緒に働きやすいというのもあるでしょう。

ただ、タイ人の働き方は日本人とはまったく違います。ときどき日本人から彼らに対する不満も聞こえてきますが、残念ながらそれはタイ人をちゃんと理解していない証拠です。

ここではそんな、「タイ人の働き方の真実」について紹介していきます。

タイのパスポートセンター。のんびり仕事をしていてうらやましいが、いつも長蛇の列という問題もある。

 

愛社精神ゼロ? 違います! 「縛られていない」だけ

会社の辞令でやってきた日系企業駐在員の多くは、好きでタイに来たわけではないでしょう。そんな彼らにとって、赴任当初はカルチャーショックの連続で大変つらいかもしれません。特にタイ人と日本人の働き方の違いに、大きな戸惑いを覚える人が少なくないはずです。

そんな駐在員が言う、タイ人労働者に対する不満は大体が以下のようなものになるのではないでしょうか。

・時間にルーズ
・すぐに辞めてしまう
・主張だけはする

よくよく見れば、昨今の日本でも、新社会人について言われる不満もこんな感じではないでしょうか。ただ、日本人は組織の中で生きることに慣れる、というか学習するので、1~2年でそれなりの(日本的な)社会人らしい心構えになります。

しかし、タイ人はそうはならないことが多いです。そうなる前に辞めてしまう人もいますし、そもそも人に命令されることを嫌う傾向にあるため、なかなか会社の流儀に染まっていきません。それはなぜでしょうか。

前職を辞める日の高田(2011年4月)。今見ると、会社員なのにアロハを着ている時点でボク自身もロクな会社員でなかったかも……。

前提として、日本人の場合、自身の両親や先輩など周囲の人が会社員であることが多く、子どものときからある程度「企業勤め」というスタイルを理解しています。それがタイの場合、バンコク出身者でも親が会社員であるケースは日本よりもずっと少ないです

20年くらい前のタイでは、大卒はエリートでした。そもそも大学入学に際して親の経済力も問われたので、地方の貧しい農家出身者は「大学に行きたくても行けない」というのが実情。今は時代が変わってある程度の所得がある世帯の子どもであれば、誰でも学力に見合った大学に行けるようになっています。

その代わり、大卒だからといってエリートという感じではなくなってきたため、新卒の新入社員によっては、大学で得た知識を社会で活かしたり、スキルを磨いたり稼ぐといった企業に勤めることの意味をまったく理解していないことが増えてきてしまっています。

近年は都心部の開発も進み、オフィスビルがきれいになった。このビルもかつては最新のビルだったが、今や古い部類に。

とはいっても、タイ人は帰属意識が非常に強いです。例えば、タイは公的な救急車の数が慢性的に不足していて、100年以上前から慈善団体が救急救命活動を担っています。バンコクだと「華僑報徳善堂」と「華僑儀徳善堂」が2大レスキュー団体です。ライバル関係にあるので、ときに現場でかち合うと主導権を争ってケンカになることもありました(現在は法的に管理され闘争はなくなりました)。

団体側から末端のボランティア隊員になんらかの責任を持たせようとか、誇りに思うようにという指導はしていないにもかかわらず、末端の隊員たちは真剣に団体の看板を背負ったつもりでライバルと争う。その帰属意識は相当なものです。

このように一般的にタイ人の帰属意識は日本人以上に強いと感じます。タイ企業では数十年勤めている人も少なくないですから、すぐに辞めてしまうのは雇う側になんらかしらの問題があって、単にそのタイ人従業員を上手く育てることができず、信頼関係が築けていないだけではないかと思うのです。

中華街ヤワラーの金行などは数十年選手がゴロゴロいるという。ただ、逆に新人不足という問題もあるという。

 

「自由な心」は幼稚園の頃から育まれている

仕事内容においても、タイ人が仕事で指示を無視し独自の方法を編み出してしまうことがあります。飲食店などではその店の味があるにも関わらず、目を離すと我流の味つけにしてしまう料理人も少なくないそうです。しかしそれは彼らが、根強い個人主義と、誰にも縛られない自由な心があるからです。なににも縛られずに自由に生きているので、人に指示されることを嫌ったり、自分のやり方を否定されることを極端に嫌がります。

確かに、納期があって残業必須でもぷいっと帰ってしまったり、プロジェクトの途中で「今日限りで辞めます」と言って来なくなるなど問題行動もあります。さらに男性なら出家や徴兵もありますので、それによって突然いなくなってしまうこともしばしば。残業も「したければする」程度の気持ちなので、工場などの残業代目当ての仕事以外ではさっさと帰っていきます。サービス残業なんてもってのほかです。

中小企業や飲食店などでは遅刻などの多い従業員もいるなど、日本では考えられないこともよくあります。自由すぎて、時間にもルーズに見えてしまいます。プライベートでは待ち合わせに30分遅れてくるのは最早誤差レベルです。ボク(高田)はそれに慣れすぎてしまいまして、3時間くらい待たされてもイライラすることさえなくなりました。

センセーブ運河。朝夕は渋滞を避けられるのでここの運河ボートの利用者は多い。しかし、事故もよく起こる。

日本人はぴったりどころか5分前行動などと言って、きっちり動きますよね。その時間厳守の精神は教育の賜なのかなと思います。幼稚園からずっと、遠足でさえもすべて時間通りの行動を取る。小さいころからそれが染みこんでいるわけです。では、タイ人の一見ルーズともとれるその性分はいったいどこから来るのでしょうか。ボクはそれを、日本人と同様に、幼稚園の頃から染み込まれると考えています。

タイでは学校の送迎を親がすることが多いため、朝夕は学校近隣どころか、バンコク全体が大渋滞になります。これによって突発的な事情――例えば事故が起こると始業時間に間に合わないのは当然。日本人ならそれを見越して早く家を出るかもしれませんが、遅延の規模が異なるタイだと数時間も前に出なければならず、逆に非効率です。だから、通常の渋滞を加味していつも通りに出発します。

ただ、日本人の目に映る問題は、遅刻したとしても本人がなんとも思っていないことです。学校側、教師もそれに対して怒ることもないですし、廊下に立ってろなんてことも言いません。当然です。なぜなら、親も先生も、みんなが生まれたときからそういう風にして生きてきたので、そもそも「時間にルーズ」という概念がないのです

タイの私立学校は多くがクリスチャン系で、ボクの小6の娘が通う学校もそうであり、12月にはクリスマスのお遊戯会が行われます。ある年、娘が主役に抜擢されたので観に行ったところ、パンフレットには10時半スタートとありましたが、目的の演目が始まったのは13時半。理由は単に、ステージの演者入れ替えが時間に加味されていなかっただけでした。

自由に育っているので、タイの子どもは素直な子が多い。

3時間ですよ、遅れたの。このあとのクラスはもっと遅いわけです。それでも、先生方は謝るわけでもないし、保護者側も誰もなにも言わない。むしろ、「え?」と思っているのはたぶん現場でボクだけです。ほかのお父さんお母さんは仕事とか大丈夫なのだろうかとも思いますが、誰も気にする素振りもありませんでした。

運動会の仮装行列では「空軍の服」という大雑把な指示しかなかったため、園児たちの服がバラバラ。でも、誰も気にしない。

運動会はもっとすごくて、遅れるのはもちろんのこと、先生たちも仮装して踊るわ、保護者は競走の邪魔になりかねない距離で撮影するわでカオス状態です。そこで一昨年から学校側が、「保護者のお行儀点」という基準をつくり、団体得点の減点対象に。しかし、誰もなんとも思っていないので、効果はありませんでしたが。

みんな、本当に自由です。親も学校もこれなら、子どももそうなりますし、延々とこの習慣は続くでしょう。でも、この感じがタイ人のよさでもあるので、なくならないでほしいとも思いますね。

 

地方出身者の帰属意識は「企業」ではなく「故郷」にある

企業との信頼関係がない限り、タイ人は給料がよければすぐにそちらに移ってしまいますし、嫌なことがあったら逃げ出してしまいます。

タイには目の前の数字に釣られてしまう人がよくいます。例えば、1万バーツの給料がもらえる会社に勤めていて、ほかの企業が1.1万バーツで働けるとなるとすぐに転職してしまう。ところが落とし穴があって、前の会社は交通費が月間1000バーツなので、手取りが9000バーツ。しかし、転職先は2500バーツ交通費がかかるので、手取り8500バーツ。手取りが減ってしまうのに気づかないまま転職してしまう人もいるのです。

また、辞職するのはいいとしても、困るのは口頭で「今日限りで」と告げて翌日からいなくなってしまうことです。引き継ぎなどは当然なく、ボク自身も前職は会社員だったので、これで何度も苦労しました。日本では最低でも1ヶ月前というのが常識ですが、タイではすでに書いたように会社員というライフスタイルが浸透してきたのがこの20年から30年くらいですので、そういったマナーがないのが現状なのです。

昼間から飲んで、のんびり暮らす。確かにタイの田舎暮らしはいい!

先にも書いたように帰属意識が強い人たちなので、決して愛社精神がないわけではありません。しかし、帰属意識の優先順位のトップの多くは勤め先ではなく、彼らの生まれた場所になります。特に地方出身者はほとんどの人が「いつかは故郷に帰って暮らしたい」と願っています。そのため、愛社精神があろうがなかろうが「いつかは辞めるつもり」でいるため、ちょっとでも嫌なことがあったり、ほかに給料がいいところがあるとすぐに辞めてしまうのです。

また、タイ人は相手の地位をよく見ています。従うべき人、従う必要のない人を見分けることが上手です。日系企業など外資系に勤めるタイ人の中には「誰々さんは素晴らしい人だ」と上司や同僚を褒める人も多いです。しかし、当の外国人上司もいつかは日本に帰ってしまう。これもまた外資系の会社にタイ人が定着しにくい理由のひとつなのかなと思います。タイ企業に数十年クラスが珍しくないと書きましたが、そうしたところは社会的地位が高く尊敬できる上司や社長がずっとそばにいるからです。

誰にも縛られない自由な気持ちにより、居心地がよければ長く続けるし、そうでなければ続けるつもりもない。これがタイ人の働き方の根底です。確かにバンコクはごみごみしていて、静かな田舎に帰りたい気持ちもわからなくもないですが。

タイの寺院も心安まる場所で、タイ人の支えになっていると感じる。

 

SNSや国際化の波に押され変わらざるを得なくなるタイ

タイのプロサッカーリーグである「タイ・リーグ」には多くの日本人選手が在籍しています。一時期は、単一国のプロリーグとしては世界で最も多くの日本人選手が活躍する場でもあったほどです。しかし、それも今は少なくなってしまいました。

いろいろな事情がありますが、なによりも契約問題。タイ人は「契約」というものが紙切れよりも破られやすいもので、オーナーなど運営側の権力は絶対であるため、契約通りの報酬やビザの支給が外国人選手に行われないことがしばしばでした。さらに運営の気分次第でクビになることもあり、苦労した日本人選手は数知れません。

しかし、最近はタイ代表もワールドカップ出場を本格的に目指していたり、タイ・リーグの運営会社がルールを事細かく制定したりして、だいぶ健全化が進んでいます。これはSNSによって、不正を告発しやすくなったという背景もあるでしょう。民間団体のみならず、これは警察に対してでもです。当たり前のことなんですが、それがタイでした。

そして2018年12月に入り相次いで、日本のスポーツ紙では日本の有名サッカー選手が相次いでタイ・リーグのクラブチームに移籍するニュースが発表されています。2019年シーズンは日本人にも目の離せないものになりそうです。

屋台という起業のチャンスがタイは少なくないのでうらやましい。

バンコクはご存知のようにタクシーが多いですね。安くて利用しやすいですが、一方ではボッタクリなどの問題も起こっています。タイのタクシー運転手も一応は自営業ですので、「起業家」という一面を持ったドライバーもいます。彼らは会社などの規則に縛られたくなくて運転手になったという人が多いです。誰にも邪魔されたくないのです。

屋台なども同じ。自分で仕事をして稼ぐという気持ちが強いのもタイ人で、屋台や市場などで少額でビジネスを始めるチャンスが少なくありません。特に、日本と違って過剰なサービスを要求されることがないため、店主が「売りたくない」と思った嫌な客は追い返します。これがタイ・ワーキングスタイルです。

祭りに行けばこうした「パクり」ぬいぐるみなどはいまだにある。

ただ、それは、これまでタイが「そういう国」でいることが許されてきたからというのもあるでしょう。かつては遅刻は渋滞や雨などの理由がありましたが、バンコクならスカイトレイン(都市鉄道)や地下鉄がありますし、タイ人でも折りたたみ傘を持つことは普通になってきて、真偽に関わらず遅刻の理由がなくなっています。

同時に現在はSNSで世界が広く繋がっており、ワールドスタンダードに変わらなければならなくなっています。「タイだから」が許されなくなりつつあるのです。今後大きく変わっていきますし、現に少しずつ変化は目に見えています。便利になる反面、そんなタイにはなってほしくないとも思いますね。

タイ政府は近年、ワールドスタンダードにしていく施策としてか、なぜか屋台を撤去し始めています。しかしこれはタイ人の起業のチャンスを潰しますし、屋台が好きでタイに来ている人も世界には少なくないので、ぜひともそれだけは続けて、タイ独自のハイブリッドスタイルを構築してほしいなと思っています。

今はなくなってしまったスクムビット通りソイ38の屋台群。

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

高田 胤臣

高田 胤臣

1977年、東京生まれ。1998年に初訪タイ、2002年からタイ在住。タイの救急救命慈善団体「華僑報徳善堂」唯一の日本人ボランティア隊員。現地採用社員としてバンコクで日系企業数社にて就業し、2011年からライターになる。単行本数冊、AmazonKindleにて電子書籍を多数発行。執筆のジャンルは子育てネタからビジネス関連まで多岐に渡る。最近は「バンコク心霊ライター」の肩書きがほしく、心霊スポットを求めタイを彷徨う。

この記事を書いた人

ずんこ

ずんこ

タイを拠点に漫画家活動中。漫画作成、漫画の描き方指導、国内外のイベントにて似顔絵描きをするなどのフットワークの軽さが人気。以前シンガポールに住んでいたこともあり、シンガポールでの活動もしばしば目立つ。日本人向けタイの情報誌「バンコクマダム」などで漫画を連載中。法人から個人まで幅広く仕事を受注してます。連絡先:zunkomanga@gmail.com Facebookはこちら

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