密着・メキシコの金婚式!アモールが魅せる夫婦愛と家族の絆

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

※本記事は特集『海外の結婚式』、メキシコからお送りします。

クリックorタップでメキシコ説明

 

メキシコ式結婚、それは家族+愛。

ラテンアメリカと言えば、家族。メキシコももちろん、家族。一に家族、二に家族。三、四も家族で、五も家族。多分、十まで数えても、家族になると思う(気がする)。職場でも外出先でも、家に帰って家族に会う時間を指折り数えて待っている。

そしてそれに並ぶものが、「愛」なんです!

外に出てみれば、見つめ合うカップルから愛が溢れて路上に零れ落ちている姿を何度も目撃した。ちょっとちょっと、愛がこぼれてしまってますよ、と心の中で何度もつぶやく。世界の中心じゃなくたって、皆ところかまわず愛を叫ぶのです。

そして、その二つが合わさった「結婚」はラテンにおける一大事。当の本人達は勿論、家族も、もしかすると村も街も巻き込むことになる。

昔、エミール・クストリツァという監督の「黒猫・白猫」という映画の中で、まるでお祭り騒ぎのような結婚式が映しだされていた。まさにあの世界がメキシコの結婚式。ラテンアメリカに来る前にこの映画に心底惚れていた僕は、いつかこんな結婚式に出てみたいと思っていた。

これがその映画の結婚式のシーン。映画の新郎新婦は色々あって浮かない顔だけど、周りの人達はお祭り騒ぎ。

草原の道なき道を走って式場へ。

 

お揃いのドレスで踊りまくるパーティーピーポー!

メキシコからこんにちわ、メキシコ人妻を持つメキシコ住みの日本人・嘉山です。撮影の仕事をしていることもあり、家族から赤の他人までこれまで色んな結婚式に出席してきました。

メキシコで挙げられる結婚式は平たく言うと二種類、宗教上のものと法律上のもの。前者は、カトリック教徒の多いことから、教会でミサを行い、神様の前で誓いを行う。それを終えた後は披露宴会場に移ってパーティーのはじまりです。

本記事では結婚50周年を迎えた夫婦の金婚式を中心にお伝えしますが、その前にメキシコの結婚式についても軽くお伝えします。

 

一人で出席している人ほぼいない

一人で参加している人を見かけないのは、メキシコに限らずラテンアメリカ全土の特徴かもしれません。夫婦や恋人でのカップルの参加が基本で、そうじゃなければ友達と来ます。たまに一人の参加者も見かけますが、一人ぼっちにさせないのがメキシコ流。今日会った人ですら気が合えば呼ばれます。誰でも、いいんです。おめでたいんだから。あんま固いことはなしよ。

一人で写っている人を探したら唯一運転手がいた。

 

メキシコでは、「代理父」(パドリーノ)が新郎新婦を援助する

パドリーノ制度は、元々はカトリック由来の習慣で、「両親に何かあったときのために備えて小さい子どもの代理父母になる」というものです。それが、結婚式にも拡大されて、式の準備の担当別にパドリーノたちがいます(代理母の場合はマドリーナ)。

これはパドリーノ側の自己負担。わかりやすいところでは、指輪のパドリーノ、花輪のパドリーノなどがあります。最近では、経済的な事情から制度を活用して食事のパドリーノやケーキのパドリーノなんかも登場する始末。逆に、パドリーノ・マドリーナ制度をフル活用すれば、メキシコの結婚式は全て賄って行うことも可能になるかもしれません! 人生は、持ち回り。皆、助け合いなのです。

この花はパドリーノがご用意されました!立派!

 

新婦の友人たちは同じ色の布でドレスを作る

昔からの女友達同士で集まって、色を決めたら布を買って当日着るドレスを仕立てます。実際に見ると圧巻でズラズラーっと同じ服。でも、毎回二人ぐらい微妙に違う色が2人ぐらいは混じってる。勿論、誰も気にしないし、そもそも多分気づいてないかも。

小さいこどももお揃いのドレス!

ダンス・ダンス・ダンス

とにかくよく踊ります。ラテンアメリカですから。サルサ、クンビア、ノルテーニョ、ロック、なんでも踊ります。しかも、みんな上手いんだ。メキシコでは囁かれている定説があって、貧しい地区の人達ほどダンスが上手いんです。腰というか、足というか、背中というか、器用にくるくるくる~と回っていきます。しかも、社交ダンスみたいな魅せる踊りじゃなくて、楽しむ踊り。

そうそう、メキシコでは当たり前過ぎて書くのを忘れてしまいそうになりそうでしたが、結婚式会場は入ってまずすぐダンスフロアがあります。会場選びのチェックポイントは、ダンスフロアの「広さ」、そして「頑丈さ」です。頑丈じゃないと……抜けます……床。

これは結婚式じゃなくて、メキシコ伝統のダンスサロン。ダンスは、日本のカラオケ的な位置づけですね。一次会終わって、二次会はダンスみたいな。三次会も四次会もダンスだけどね。オールナイトでダンス。終わるのは午前10時。そしてそのまま翌日に接続!

 

伝統的な結婚式は地方に行けばまだ残る

この通り(日本からすると)個性あふれるメキシコの結婚式ですが、これここまではあくまで現代のお話。昔、先住民の村ではもっと伝統的な式が行われていたようです。それは、花嫁は結婚前に新郎の家になんと一ヶ月も滞在し、そこで食事や刺繍を習ったりとしていたとのこと

お互いが同意してやっていたところはあるとはいえ、今のご時世であればNGな状況でしょうが、昔はそういった男尊女卑の風習がメキシコでは根付いてました。今でも地方の村に行くと根強く残っています。Deep in メキシコ。

昔、昔、とーっても昔の写真。ちなみに、今回の主人公。

 

愛を誓いあった、その先にあるもの。

メキシコのとある夫妻の金婚式

さて、そんなメキシコにおける結婚式をざっと紹介しましたが、ここからは、結婚からさらに50年間、夫婦生活を送ってきたふたりがたどり着く舞台・金婚式について紹介します。半世紀以上共に寄り添った人だけが迎えるその式は、もはや本人達はもちろんのこと、周りの家族にとっても感慨深いものがある……。

50年以上一緒に暮らして、それでも愛を誓えますか?

主役は、僕自身の義理の両親、つまりメキシコ人の妻の両親である。いつも優しくしてくれる、文字通りメキシコの父と母だ。

これまで二人にしか分からないことが沢山あったはずだが、僕も数年前から妻といっしょに色々な行事で色々な時間を彼らと分かちあってきた。そして今回もまた、大切な時間をともに過ごすことになったのである。

 

人々が空中を闊歩し、バニラビーンズが弾け飛ぶ魔法の村・パパントラ

会場として選ばれたのは、メキシコシティから車で4時間強のところに位置するベラクルス州のパパントラ。メキシコ政府が魅力ある観光地として認定した「魔法の村(Pueblo Magico)」でもありつつも、ボラドーレスという昔から伝わる先住民文化が残っているメキシコの奥深い村だ。それは数十メートルある杭から足にロープを巻き付けて地上へと降りる宗教儀式、豊穣を大地にもたらすといわれている。なお、会場をここに決めた理由は後述します。

教会の横には大きな杭が立てられ、そこには先住民トトナコ族の人々がボラドーレスの儀式を行っている。これはこれで素晴らしい伝統なので、機会があればまた日を改めて書きたいと思う。

また、バニラビーンズの生産でも有名な村で、この村に来る度に熱帯の気候、湿った風、そして甘い香りを感じてはまるでおとぎ話の国に来たかのような錯覚に陥ってしまう。

 

”永遠に終わらない夏休み”がもたらす確かな幸せの形

参加者の家族構成を紹介するとこんな図になる。以前、姪っ子が作っていた家系図である。ざっと数えただけで、100人を超えている。ちなみに、これは義母方だけの家系図である。妻のイトコの数だけで50人いた。

大きすぎるので私がいる家族単位にフォーカスすると。

私は、こちらのご家族の末の娘と結婚しました。今回の主役は義父母の青字のラロさんとドリスさんです。

家族の中でもとくに仲の良い三姉妹たちは、金婚式が行われる数ヶ月前からずっと計画を練っていた。パパントラ村に決めた理由は、義母の生まれ故郷であり、彼女の兄弟の集まりで年に数回は訪れる場所だったから。だが何より、義両親が結婚式を行った場所がこの家だったことが決め手だ。

僕達家族は、数日前よりパパントラの村に家族で集まり、金婚式に向けた準備を行った。今は誰も住んでいない家で行うので、まずはその掃除から。暑さと湿気の中、みんなで作業をしているとまるで夏休みのような感覚に陥る。子供達が路上で佇んでいた。夕暮れ時、生暖かい風が吹くと、とても幸せそうに見えた。

準備のための数日間、家族全員が一つの家に寝泊まりをして、一緒に食卓を囲む。何気ない光景だが、姉妹が離れた場所に住むためこういった暮らしを一緒に送れることが今は少なくなってしまった。だから、それが何よりの幸せである。

会場となる家のすぐ近くに義母の兄弟の家が固まってあるので、毎日ひっきりなしに親戚の人達が訪ねてきて昼は準備、夜は宴会となる。昼間の日差しが和らいだころに、僕らは外に出て家族で冷たいビールを回し飲みして、この地方特有の小さいタコスを食べたのだった。

 

「俺は、家族が欲しかった」

時間が空いた時を見計らって、義母と義父に短いインタビューをした。いつも優しくしてくれる二人に、自分に出来るプレゼントを送ってあげたい。折角、撮影で働いているのだから、こんな記念日は手作りのドキュメンタリーとして形に残して、この家族の、この家の、この村の、ささやかな物語を残したかった……。

インタビューはこれまで何百人としてきたけど、家族にしたのは初めて。お義母さんとお義父さん、両方に別々の日にインタビューをした。一人ひとりに聞くことで、それぞれの思いがより詳しく、お義父さんの境遇や当時の結婚の姿が見えてきた。

お義母さん「お義父さんは、一人で村までやってきて勇敢だったわ。それで私のお父さんや祖母に会ったの。彼はトトナコ人じゃなかったから……私のお父さんは何も言わなかった

言外にパパントラ村の先住民であるトトナコ族ではない人との結婚が難しかったことが伺える。

お義父さん「いろいろ聞かれたよ、その中には不信感もあっただろうね。自然なことだよ」

お義母さん「彼は一人で過ごしてきたの、だから孤独だったの。家族を探していたのよ、私の家族が彼を包んだの。それが彼が欲しかったものだったの」

お義父さんは、両親を早くに亡くし、長い間一人で暮らしてきたことを妻から聞かされて知っていた。すぐにお義母さん家族と仲良くなったわけではなかったことも、今回のインタビューで見えてきた。そして、今でも胸に残るコメントがある。

お義父さん「家族は大切だよ。家族がいなかったら、俺は誰でもないからね

お義父さんはそう言うと静かに遠くを見つめた。家族がいなければ、誰でもない。答えを聞きながら、彼の気持ちを反芻した瞬間だった。僕自身も、お義父さんと境遇を重ねた瞬間でもあった。異国の地で、その土地の女性と結婚をした。不信感もあったと思う。認められないこともあった。だが、お義父さんも、それを乗り越えて現在につながっている。そんなことを、インタビューを通じて、二人の話から自分に置き換えて感じていた。

インタビューで50週年を迎える二人のコメントは、どちらも素晴らしかった。是非、記事の最後にあるビデオで見てもらえれば嬉しい。

 

人生とは祝祭であり、祝祭こそが人生

それぞれの地域で違う味、メキシコにもある故郷の味

祝い事があると、この村ではかまどに火が入り、沢山の料理が作られる。メキシコの結婚式などの祝い事では、来る人は全て礼儀をもって迎えるべきお客様になる。知らない人であってもだ。

多分、ラテンアメリカを旅行していて、知らない人の結婚式に出たことのある人も少なくないと思う。だから「何人来るか」とは聞かず、僕らは声をかけている人数の倍の倍の分ぐらいの料理を作るため料理は常に大鍋で炊かれる。

中味はメキシコ伝統料理のモーレである。メキシコでチョコレートの入ったソースと言えば、知っている人もいるかもしれない。僕はメキシコに来たばかりの頃は、メキシコシティで食べるモーレソースの甘い味付けが苦手だった。

だが、パパントラのモーレは甘くなく、むしろ辛い。いや、かなり辛い。そして、とろみもなくさらさらとしているのが特徴。香辛料の効いた本格カレーのような味わいで、これを食べるようになってから俄然モーレを好きになった経緯がある。メキシコは、同じ名前の料理でも地域毎に全然違う味付けをするところは、日本と似ている。 ちなみに他の州では、7色のモーレソースまであるんだから、本当に豊かな食文化だなと、つくづく思ってしまう。

 

50年を経て交わされる愛の言葉に涙が止まらない

義母は花嫁として、彼女の姪が経営するサロンに行き花嫁衣装を整える。その間、僕らは巨大なケーキを街のお菓子屋さんまで受け取りに行っていた。

しっかりと準備は遅れ、開始間際でバタバタするのはいつものこと。しかしいつもと違って、この日の義母はこころなしか少し緊張しているかのように見えた。

家の近所にある教会に向かい、二人は改めて愛を誓い合う。これまでの50年、様々なことがあった。いろいろな思いが去来していたと思う。僕ら家族も、彼らのいいときだけでなく、悲しいときにも立ち会った。

撮影している僕の方にも、心の奥でグッとこみ上げた感動は今でも忘れられない。

自分が生きている年数よりももっと長い年月、ずっと二人は一緒にいたのである。娘達とともに。彼女たちがいなくなってからは二人で。そして、孫が生まれ、また家族が増え、僕は今のところ最後に加わった家族。僕のこともいつも実の息子のように可愛がってくれる、最高の二人なのです。

 

感極まるお義母さん……

そして、フィエスタ(スペイン語で「パーティ」)が幕を開ける……なぜなら、人生とはフィエスタであり、フィエスタが人生なのです。

なお、スペイン語の勉強を始めたら、グラシアス(ありがとう)の次に覚えて欲しい言葉です。上級者は、セルベサ・ポルファボール(ビールお願いします)、ドンデエスタバーニョ(トイレどこですか?)も覚えよう!これでフィエスタ対策はペルフェクト(完璧)!

 

踊れなければ生きていけない、愛がなければ生きる資格がない

家に戻ってからは、乾杯、そして食事。来てくれた人をもてなすために、家族総出で料理を盛り付け運ぶ。一通り食事が終わったところで、椅子と机は撤去され、ついにフィエスタのメイン・ダンスが始まる。

まず最初はワルツを踊る。パーティーを開くためにまずは主役の二人が踊る。そして、二人が踊り終わるとお父さんが娘達と、そしてお義母さんが義理の息子達と代わる代わる踊り、最後は参加者全員が参加する。

この嬉しそうな顔!最高。

そして、踊る。

もっと踊る。

勿論、バンドは生演奏

この場末感がイイ。数百曲はレパートリーがある

ケーキやスピーチなどいろいろあるけど 、

押すなよ〜、押すなよ〜。完全、ダチョウ倶楽部。

まだまだ踊る!

そして、 夜まで踊る! 結局、昼2時頃から夜1時頃までフィエスタはつづいた……。

 

愛を誓いあった、その先にあったもの。

金婚式に出て改めて思ったのは、誰もが迎えられるものではないということ。勿論、病気などで一緒にいられなくなることもあれば、互いにうまくいかなくなって一緒にいられなくなる人達だっているだろう。月日が全てを語っている。

いつも目の前にある幸せというのは、当たり前の光景ではない。僕らはいつもそんな特別な「普通の」日常を目撃し続け、日々を更新し続けるのである。こんな素晴らしいことって、他に知らない。

金婚式を終えた二人には、制限時間のない生活が始まる……次は、何を?彼らは、そっと耳打ちする。「普段の生活」と。 そして、人生は続く……。

パーティーを抜け出して僕は中庭で目を閉じて、50年後のことをぼんやり考えた。裏庭に生える密林から吹く湿った温かい風が頬にあたって振り返ると、いつのまにか妻が隣にいた。彼女はゆっくりと微笑むと、僕をダンスに誘った。

では、フィエスタはまだまだ続いているので、僕も戻りたいと思う。それでは、また今度!

義父母の50年前の姿。金婚式、おめでとうございました。

 

今回の金婚式のオリジナルショートムービー。日本語字幕も付けています。是非、実際の雰囲気を見てもらえればありがたいです。

 

 

編集:ネルソン水嶋

  • ※当サイトのコンテンツ(テキスト、画像、その他のデータ)の無断転載・無断使用を固く禁じます。また、まとめサイトなどへの引用も厳禁です。
  • ※記事は現地事情に精通したライターが制作しておりますが、その国・地域の、すべての文化の紹介を保証するものではありません。

この記事を書いた人

嘉山 正太

嘉山 正太

埼玉県出身。日本で映画やテレビの映像制作業を経た後、ラテンアメリカへ。在メキシコ歴は10数年。普段は中南米各国で映像を作る仕事などをしてます。テレビ番組のドキュメンタリーやバラエティ、映画やCMを作ったり、映画祭をやったり。普段は、メキシコ人の妻とネコと暮らしながら、トランペットを吹き、自家製のぬか床をかき混ぜる毎日。まだ会ったことのない人に話を聞きに行くのがライフワーク。HPTwitter

  • このエントリーをはてなブックマークに追加