別れても理解者同士、”元夫婦”的なマレーシアとシンガポールの関係。

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※本記事は特集『海外のライバル』、マレーシアからお送りします。

クリックorタップでマレーシア説明

 

何かと気になる隣国、シンガポール

マレーシアの隣国は、マレー半島の北にタイ、南にシンガポール、西にインドネシア、東にあるボルネオ島でブルネイ(とインドネシア)です。それぞれに関係があるわけですが、マレーシアが何かと意識している隣国はシンガポールではないかと感じます

 

1日84便が飛ぶ、世界最多の航空路線

マレーシアとシンガポールとは、ジョホール水道を挟んで対岸の位置にあります。マレーシアの首都クアラルンプールからシンガポールまではおよそ500km、車でなら6~7時間の距離です。

ちなみにシンガポールは島なので、ユーラシア大陸の最南端は、マレーシアのジョホール州にあるピアイ岬ということになります。さて、マレーシアとシンガポールは「コーズウェイ」とよばれる、約1km の橋で結ばれています。昔は橋を歩くことができたので、どちらかで出国手続きをした後、歩いて橋を渡って、もう一方の国に入国する「国境越え」の気分が満喫できるところでした。

走行中のバス車内から見たコーズウェイ。対岸はマレーシアのジョホール・バル。

このコーズウェイの混雑を緩和する目的で、「セカンドリンク」とよばれるトゥアス・チェックポイント経由のルートができたため、現在はマレーシアとシンガポールの間には陸路では2つのルートがあり、1日に約6万台の車両が国境を渡るそうです。見ていると大型トラックがひっきりなしに通る感じで、物流が多いことがよくわかります。

国境のチェックポイント。マレーシアからシンガポールに向かうトラックが多い。

ちなみに、世界の航空情報を提供するイギリスの企業OAGによると、2018年に世界でもっとも便数が多かった国際路線は、クアラルンプール-シンガポール線の年間3万537便だそうです出典)。こういうところからも、両国の往来の多さがわかりますね。

クアラルンプール国際空港の出発便案内。この範囲でもいくつもシンガポール便がある。

 

マレーシア-シンガポールの「水論争」再燃

シンガポールの水はかなりマレーシア頼み

マレーシアとシンガポールを結ぶコーズウェイには、橋と並行して大きなパイプラインが3本敷設されています。このパイプラインのうち2本はマレーシアからシンガポールへの原水、1本がシンガポールからマレーシアへの上水の送水に使われています。

コーズウェイ沿いの巨大なパイプライン。対岸はシンガポール。

東京23区ほどの広さのシンガポールには水源が少ないため、マレーシアから水を輸入しています。飲料水や生活用水はもちろんですが、水は工業にも必要なので、その確保は死活問題。

シンガポールは建国以来、水の自給を重要問題として位置づけ、貯水池を増やしたり、下水を再処理して飲料水に利用する技術も開発してきました。しかし完全自給には及ばず、現在も需要の4割をマレーシア、ジョホール州からの送水に頼っています。

マンホールのふたにも、水に対する意識を高める絵がある。(シンガポール)

戦後に結ばれた水の供給に関する両国間協定は、「1961年協定」(50年間有効)、「1962年協定」(99年間有効)と、「1961年協定」を補完する「1990年協定」の3つがあり、このうち「1961年協定」は2011年に失効しています。現在有効の2協定も、2061年には失効します。

協定に基づいて、これまで1000ガロンあたり3セント(約0.77円)で供給してきたマレーシア側は、物価の上昇を反映した「より公正な」価格への見直し、つまり値上げを繰り返し要求してきました。

一方シンガポール側は、ダムや浄水施設、送水パイプラインの敷設費用などを負担してきたことなどを理由に、値上げ幅を抑えようと努めていて、度重なる交渉を経ても両国は合意に達していません。

現在の協定ではマレーシアが一方的に値上げすることはできませんが、2061年に協定が切れてしまえば供給を断る選択肢もあるため、どうしても水が必要なシンガポールは対応に苦慮しており、それまでに水の自給を達成することをめざしています。

 

「水不足」で降伏した過去

ところで、シンガポールにとって水の確保がどれだけ大きな問題だったかは、近代史を振り返ることでも知ることができます。

第二次世界大戦中、イギリス領だったシンガポールには東南アジア最大の連合軍の拠点が置かれていました。1941年12月7日、マレー半島北端に上陸した日本軍は、約2か月かかって半島を南下、翌1942年2月8日にシンガポールに到達します。

日本軍の「シンガポール島要図」(シンガポール国立博物館蔵)

このとき、約8万5千人を擁する連合軍が、3万6千人あまりの日本軍に降伏した理由も「水」でした。日本軍が水源の貯水池を押さえたため、シンガポール市中は断水、軍人も住民も苦しみました。連合軍司令官のパーシヴァル将軍は2月15日に日本軍に降伏を申し入れ、連合軍の要であったイギリスでは「史上最大の降伏」といわれましたが、背景には生活に不可欠な水の問題があったのです。

 

「離婚」したマレーシアとシンガポール

19世紀からイギリスの植民地だったマレーシアとシンガポールは、イギリスからの独立までの過程で、同じ国だった歴史があります。

シンガポールにイギリスの植民地を建設した、トーマス・スタンフォード・ラッフルズ。

1942年から1945年まで日本に占領された旧英領マラヤ(マレーシアとシンガポール)は、日本の敗戦により、再びイギリスの統治下に戻ります。

1957年、現在のマレーシアの前身「マラヤ連邦」(*1)がイギリスからの独立を達成。シンガポールは直轄植民地のまま残りましたが、1959年に英連邦内の自治州になり、マラヤ連邦に加わることでイギリスからの独立を模索します。そして1961年には「マレーシア連邦」(*2)が誕生、いよいよ念願叶ってシンガポールは1963年にマレーシア連邦の12番目の州として独立を果たします。

*1 マラヤ連邦(Federation of Malaya) 現在のマレーシアの前身。イギリスの統治下、マレー9州とペナン、ムラカ(マラッカ)で1948年2月に発足。1957年8月にイギリスから完全独立。

*2 マレーシア連邦(Malaysia) 1963年9月、マラヤ、シンガポール、サバ、サラワクで結成。1965年にシンガポールが分離独立。

マレーシアの独立記念日は、イギリスから完全独立した8月31日。

しかし、マレー人(ムスリム)が過半数を占め、マレー人優先政策をとるマレーシアと、華人が7割を超すシンガポールの間で利害が鋭く対立。1964年には、選挙結果をきっかけに華人とマレー人が衝突し、死者二十数名が生じる騒動に発展しました。マレーシア側は「体制を維持するためにはシンガポールを分離するほかない」という結論に達し、シンガポールは1965年に分離独立。

マレーシア連邦への参加によるイギリスからの独立を主張してきたシンガポールの指導者リー・クアンユー(初代首相)は、このときのことを、イスラム社会の離婚は夫が妻に離婚だと3回言えば成立することになぞらえて、一方的に「離婚」を宣言された、と自伝で述べています。

水も食料も自給できない小国シンガポールにとって、マレーシアからの分離がどれだけの痛手であったかは、このときの記者会見がリーの涙で中断したことからもよくわかります。

シンガポール独立 リー・クアンユー記者会見

2018年には両国の間で領空・領海問題が勃発しましたが、水の問題と同様、これもシンガポールがマレーシアから分離した時点での取り決めに遡らないと理解が難しいことがあり、両国の歴史的な関係の深さを改めて感じます。

2018年には、シンガポールのセレター空港に発着する飛行機の航路の下にマレーシア、ジョホール州南部の工業地帯があり、もし事故があった場合に化学物質が流出するなどジョホールの住民に危険を及ぼすのでは、という論争が起きた。(出典

 

どちらが「元祖」?ルーツを共有する二国の綱引き

シンガポールの実質的な公用語は英語ですが、マレーシア連邦に参加した経緯もあって、実は「国語」はマレー語です。割合こそ違っても、両国の民族構成はほぼ共通しているため、言語や文化・習慣はマレーシアとシンガポールで(場合によってはインドネシアも)重なる部分も少なくありません。

このため、シンガポールとマレーシアの間では、何かの「元祖」「発祥」がどちらなのか、どちらの食べものが「本家」で美味しいかという論争がしょっちゅう起きます。

大航海時代の国際カップルが生んだおやつ、マレーシアの伝統菓子”ニョニャ・クエ”

過去には、魚の頭を使ったカレー「フィッシュヘッド・カレー」や、もち米を使ったプラナカンのお菓子「ニョニャ・クエ」、薬膳風の豚肉の煮込み「肉骨茶」なども話題になりました。

最近では、集合屋台の「ホーカーズ」を、シンガポールがユネスコの世界遺産登録をめざして申請したため、同じく屋台文化をもつマレーシアが猛反発しています。

シンガポール、屋台村を世界遺産申請=隣国は「横取り」と不満

もちろん、はっきりと根拠を求められるものもありますが、何しろ同じ地域からの移民の多い両国のこと、本国から伝わったのはどちらが先だとか、どう伝わったかが定かでないものも多々あります。

それぞれの国で発行する新聞のニュースサイトにつく読者コメント欄にも、隣国の住民が投稿し、見ようによっては「うちの料理の方が美味しいんだぞ」とお国自慢を楽しんでいるような微笑ましいところもあります。そもそも、共通の言語をもっているから国を超えて会話が成立するわけですし。

シンガポールの独立記念日は、マレーシア連邦から分離した8月9日。

 

一番国情をわかり合っている隣国同士

とはいえ、タイやインドネシア、ブルネイなどの近隣国と比較しても、実は一番国情をわかり合っているのは、この二か国だと思います。

家族や親類が隣国に住んでいる人も多く、行き来も絶え間なくあることと、言語や宗教などの文化基盤を共有していることから互いの社会や文化への理解の度合いはかなり深いといえます。

マレーシア人がシンガポールに留学したり働きに行ったりは珍しくありませんし、シンガポール人にとってマレーシアは唯一の陸続きの隣国ですから、週末や休暇で出かける先としてもなじみがあります。

国境の町、マレーシアのジョホール・バル。週末にはシンガポール人で賑わう。

もう少し大きな国の枠組みでみると、政府批判を嫌うのは両国共通で、報道に対する規制もそれなりにあるようですが、たとえば政治家の醜聞や、非常にデリケートな民族・宗教に関する話題も、隣国の報道から実情を読み取れることも結構多いのです。

いわば「別れた夫婦」のようなお隣同士。国境を接しているだけに利害が絡むこともいろいろありますが、どうか仲良くやってほしいと外国人のわたしは思います。

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

森 純

森 純

マレーシアを中心に東南アジアを回遊中。東南アジアにはまったのは、勤めていた出版社を辞めて一年を超える長旅に出たのがきっかけ。十年あまりの書籍・雑誌編集の仕事を経てマレーシアに拠点を移し、ぼちぼち寄稿を始めました。ひとの暮らしと文化に興味があり、旅先ですることは、観光名所訪問よりも、まずは市場とスーパーマーケットめぐり。街角でねこを見かけると、つい話しかけては地元の人に不思議がられています。

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