LGBTと相いれないカトリックの国、メキシコに生きるゲイカップルに見た愛の真理。

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※本記事は特集『海外のLGBT事情』、メキシコからお送りします。

クリックorタップでメキシコ説明

 

カトリックの教えが生き、「ムシェ」が生きるメキシコ

かつて筆者は、社内で行われる英語クラスのディベートのテーマに、「メキシコ人はLGBTをどう考えているか」を選んだことがあります。メキシコでは人口のおよそ9割がカトリック。「同性愛者間の性行為」を「罪深い」とする教えを受けた彼らが、どのようにLGBTをとらえているか。日本人であり、また無宗教の筆者にとって、興味深いトピックでした。

30代~40代の同僚たちは、一様に「宗教の影響力がまだ強いから……」などと歯切れの悪いものの言い方をし、「完全に否定するわけではないが、かといって肯定もしない。どちらかというと自分とは関係のないテーマ」という姿勢で話をしていたことが印象的でした。

メキシコシティの歴史地区にある、カトリック教会の大聖堂・カテドラル

一方で、メキシコ南部オアハカ州のフチタンやテワンテペック地方などには「ムシェ」として生きる人々の存在があります。肉体的には「男」として生まれつつも、その性に違和感を抱く人が、女性と同じような服装をし、服飾関係や美容関連などの女性が担う職業に就きながら生きていく、それが「ムシェ」です。

「ムシェ」と一言でいっても「男性を恋愛の対象としてみるムシェ」や「見た目は女性として生きることを選ぶが、恋愛の対象は女性」などその性質は異なります。これらの地方では、15世紀以前より「ムシェ」の存在を認め、女性・男性・ムシェ(「ムシェ」のことを「第3の性」と呼ぶ向きも)、すべては神の与えた性質、という考え方を持っていたとも言われています。

オアハカ市内で行われたムシェによるお祭りにて。写真提供は「さる屋」櫻井陽子さん。

このような背景のあるメキシコで、ゲイとして生きるとは。メキシコシティに暮らすエンリケとハビエルのカップルに話を聞きました。

エンリケ(右)とハビエル(左)

 

メキシコ人・エンリケ39歳の場合

-自分のゲイというパーソナリティに気が付いたのはいつ?

自分がゲイであると感じ始めたのは17歳ごろ。それまでには、たくさんのガールフレンドはいたよ。もちろん、彼女たちとは性的な関係を結んだことも。年齢的にも、周りの友人たちとは、セックスというものがいかにイイものかというのが話題に上っていたんだけれど、いざ自分がする段になってみると、こう「何かが足りない」という気持ちがぬぐえなかったね。

大学に入って、偶然、ゲイの男性と知り合ったことで「ゲイという概念」を知って、ああ自分もそうなんだ、とわかったんだ。それで、家族にもカミングアウトをした。家族がどういうリアクションをしたかって? 特に母親はものすごいショックを受けていたね。彼女は信仰心の強い人間だし。「息子を育てる過程で、自分はいったいどんな大きな過ちを犯してしまったのか」と、自分に非があるという気持ちがぬぐえなかったみたいだよ。僕のカミングアウトを受け入れるのに一番長い期間を要したのが彼女だった。今は、母親を含め、家族全員が僕のパーソナリティを認めてくれてるよ。ハビエルのことだって、家族の一員として見てくれてる。

でも、改めて考えてみると、両親たちは幼いころから、僕に内在する「他の男児とは違う何か」を見出していたような気もするよ。小さいころ、一度、両親にセラピーに連れていかれたことがあるんだ。もちろん「カウンセリングに行く」とはっきり伝えられていたわけではないけれど……確かその当時、ホルモン剤かなにかを処方されてそれを飲むように、と言われたのを覚えてる。

君は「ゲイであると気が付いたのはいつ?」と聞いたけれど、実際は「気づく」というよりもうずっと前から気が付いていたことを、「概念として知り、受け入れたのはいつ?」ということかな。

 

スペイン人・ハビエル37歳の場合

-ハビエルはどう? スペインもカトリック教徒が多いけれど、LGBTに関してはメキシコよりはオープンとも言われているよね。

僕がいわゆる「ホモセクシュアル」の存在について知ったのは、10~11歳くらいの時に親戚のおじさんが性教育の絵本をクリスマスにプレゼントしてくれた時。その絵本にはヘテロセクシュアル(異性愛)の他に、ホモセクシュアルに関しても言及されていたんだ。それから15歳前後、「自分はもしかして……」と思ったときに、この絵本のことを思い出した。その時点では「まさかね」と思っていたから、ガールフレンドも作ったよ。女の子と付き合うこと自体が「不快」だった、ということは決してなかった。でもエンリケの言うように、やっぱり心の深いところに違和感を持ち続けていたんだ。

僕の場合は18歳でコルドバの実家を出て大学に入ったり、イギリスに留学したりしたから、家族へのカミングアウトはしばらく経ってからだった。20代半ばくらいかな。ほら、だってクリスマス休暇で実家に帰って「久しぶり、お母さん! ところで、僕、ゲイなんだ!」なんて言えないじゃない?

カミングアウト、というより、僕の場合は母親の方から聞かれたのがきっかけ。(シングルマザーである)母親の彼氏に「ハビエルはまったく女っ気がないみたいだけれど、ゲイなんじゃないか?」と聞かれたから、どうなの? てことで。うちの母親もすごく泣いたなあ。エンリケのお母さんと一緒で「自分の育て方が間違っていたから息子がゲイになってしまった」という罪悪感にさいなまされていたみたい。

 

メキシコにおけるLGBT、過去・現在・未来

メキシコシティで毎年6月最終土曜日に行われる「プライド・パレード」は、1978年にその第1回目が行われ、今年で40年目を迎えました。これは他の欧米諸国やアジア各国を見渡して、比較的はやい段階だったといえます。以下の二枚はメキシコシティで行われる「プライドパレード」での一コマ。撮影は、2007年~2017年までメキシコに滞在したフォトグラファー・小林誠一さん。

 

仲睦まじいふたり

 

※以下より、筆者を含む三人の対談形式でお送りします。

 

Mariposa

ゲイや他のLGBT当事者にとって、メキシコという国はどう? ニュースを調べてみると、LGBTである、という理由だけで殺される、という事件もあるようだけれども

エンリケ

運がいいことに、僕たちの周りではそんな目立ってひどい差別や、まして危害を加えられるような話は聞いたことがないね

ハビエル

(外見でわかる)トランスセクシュアルの人間に対するそういった危害は、あるかもしれない

Mariposa

単純に、いま私たちが住んでいるのが「メキシコシティ」という大都会であることも影響しているかしらね。

エンリケ

それはそうだと思う。同じメキシコシティ内でも、(ゲイタウンとして有名な)ソナロサ地区や、それからゲイ住人率が高いコンデサ地区なんかと、(今住んでいる)この住宅地の中とでは状況は違うのだから、まして、コンサバな考えが根強い地方では状況は全然違うだろうね

メキシコシティのソナロサ地区はLGBT向けのバーも多い

Mariposa

例えば、職場での差別は?

エンリケ

僕は職場でも自分の性的志向をオープンにしているよ。なぜかはわからないけれど、僕の働く旅行業界はゲイが多くてね。ゲイであることがマイナス要素とは必ずしもならない雰囲気なんだ

旅行会社向けに発行された業界紙にも、LGBT向け旅行企画の特集が。

Mariposa

それ、なんとなくわかる。私もかつて旅行業界に近いところにいたんだけれど、やっぱりゲイの社員がいて。彼は土曜出勤時や会社のクリスマスパーティーにもパートナーを連れてきてたけれど、特に誰も何も気にしてなかったもの

ハビエル

僕の場合は、(男性社会の風潮が残る)エンジニア系ということもあって状況は違う。もちろん、気の置けない同僚たちには話しているけれど、誰にも彼にも、という感じではないな

Mariposa

今後、その状況も変わってくると思う? 過去と比べて、ゲイが住みやすくなっている、という実感ってある?

エンリケ

そりゃもう、ゲイを取り巻く環境は全然違ってきているよ。例えば、僕が子どもの頃の「ゲイ」のイメージといえば、テレビ番組に出てるオーバーな表現をされた「オカマ」だったもの。だから、僕がカミングアウトしたとき、妹は「ピンチェ・マリコン!!!(くそったれオカマ野郎)」と僕のことをものすごく罵ったんだ。その当時は、ピエロのように扱われるイメージしかなかったからだろうね

ハビエル

そういう点で、影響力のある歌手-例えばリッキー・マーティンとか-や有名人がカミングアウトする(※)、というのは意味のあることだと思う。「ゲイかもしれない。自分はおかしいのではないか」と心配する青少年に対しても「ゲイであることは変わったことではない」と伝えることができるしね。僕が考えるに、LGBT差別をなくすためにできることというのは、若い世代に「情報と教育」を与えることだと思うんだ。そういう意味では、コミュニケーション・テクノロジーの発展で色々な情報を見聞きできる、というのもいい時代だと思う。※メキシコのみならず、ラテンアメリカで人気のラテン歌手のリッキー・マーティンは、2010年3月に公式サイト上で自らがゲイであるとカミングアウトした

Mariposa

私の同僚の娘さんが通っていた幼稚園に「両親が2人ともお母さん」という家族がいたたそうなの。最初は他の子どもたちも「なんでお父さんがいないの?」「2人ともお母さんだなんて、変」と思っていたらしいんだけれど、幼稚園の校長先生はじめ先生方が「こういう家族の形はおかしいことではない」というのをちゃんと子ども達に説明したんだって。そうすると、子ども達も理解して受け入れられるようになった、て話

ハビエル

まさに、それ。小さいうちからLGBTという存在は「特別ではない」、と知ることができれば、差別という気持ちも生まれないからね。だから「情報と教育」が大事なんだって思う

 

ラテンアメリカで初めて同性婚を合法化した国で、同性婚を考える

メキシコ合衆国32州のうち、メキシコシティ他14州、という限られた範囲内とはいえ、2009年にメキシコでは同性婚が合法化されました。これはラテンアメリカで初めてのことです。

Mariposa

ここメキシコシティではあなた達も結婚ができるわけだけれど、考えてはいるの?

エンリケ

その点に関しては、もうだいぶ前から二人で話し合いをしているよ。今まで結婚に踏み切らなかった最大の理由は、ハビエルのキャリアに影響が出るんじゃないか、という点。さっきも話したように、彼の業界にはまだまだゲイ差別が根強いからね

ハビエル

今僕たちは付き合って7年で、こうして同棲もしている訳だけれど、結婚証明書をもらう前ともらった後で、精神的な部分に変化が起きる、ということはないと思う。ただ異性愛者と同じ権利を持つ、という点ではやっぱり合法的に結婚できるというのは重要。特に、このまま二人で生きていって、当然ながら年も取るし、いつまでも健康ではいられない。そんなときに「法律で守られた権利のある」パートナーであるかそうでないか、というのは大きな違いがあるからね

エンリケ

僕たちの友人カップルでも、片割れが亡くなったケースがあって。彼らは結婚していなかったから、パートナーの死後、彼の親兄弟がすべてを取り仕切ってしまって、残されたパートナーは一切なんの口出しもできなかったし、権利もなかったんだ。そういう話を聞くと、やっぱり悲しいよね。合法的に結婚することでそういったトラブルを回避できるという点においては、自分たちも結婚したいと思うよ

 

異性間でも同性間でも、愛を存在させ続ける努力に変わりはない

インタビューの終わりに、二人からとても印象的な言葉を聞くことができました。彼らの言葉を聞けば、ヘテロセクシュアル、ホモセクシュアル、バイセクシュアルという概念を越えた「他人同士が愛し合って、一緒に生きていくこと」共通の真理が見えてくるのではないでしょうか? そんな彼らの言葉で、このインタビューを締めくくりたいと思います。

ハビエル

ゲイカップルは、刹那的な関係を求めるむきがあるのか、僕たちほど長続きしているカップルというのは珍しいんだよ。僕たちの関係は、周りから羨ましがられたり、はたまた嫉妬の対象になったりしているね

エンリケ

僕は、カップル間の愛というものはただ「存在」するものではなく、愛が存在し続けるためには努力が必要なものだ、と思っている。植物を育てるのと同じようなもので、まだまだ緑の葉っぱがついているし、今日は疲れているからお世話しないでも大丈夫だな、なんて放っておくと、次の日にはすっかりしおれてたりするでしょう? もしくは「きっとパートナーが水あげてくれるだろうから、任せておくか」なんて思っていると、枯れちゃっていたり。今、相手の「愛」を感じているから大丈夫、という過信が、いつの間にか愛を枯らせるきっかけになるんだと思う

Mariposa

耳が痛いわ。私も夫のやさしさや愛に甘んじてるから。昨日も仕事で疲れて帰宅した私にハグでちょっかい出してくる夫に向かって「これからあれもこれも家事をしなきゃいけない私に、そんなことしてる暇はない!」なんていっちゃったもんね

エンリケ

そりゃ、人間だもん。特に疲れてるときは仕方ないよね。僕たちもどちらかというと、ハビエルはイチャイチャしたがるし、僕は僕で逆のタイプだから、同じようなやり取り、多いよ

ハビエル

さっきの植物の話じゃないけど、水だけじゃなくて肥料もたまにはあげないとね! タイプの違う他人同士、お互いがお互いにない部分を補完しながら共に生きていく、というのは、エンリケと暮らし始めて実感している点かな

エンリケ

カップルと言っても他人なのだから、他人同士が一緒に人生を歩んでいく上ではある程度は、それぞれが犠牲を払いながらも歩み寄っていくことが必要なんだろうね。何度もいうけれど、愛は「そこにある」ものではなく、「そこに存在させる」ためには努力が必要なのだから

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

Mariposa Torres

Mariposa Torres

2010年のメキシコシティ移住と同時にライター活動を開始。メキシコ現地日本語フリーペーパーの編集長を経て、現在は会社員とライターの二足のわらじ生活を送っています。サボテンやテキーラ、はたまた麻薬抗争……といったメキシコのステレオタイプなイメージをぶち壊すために草の根運動中。メキシコ生活を楽しむための情報ブログもやってます。めひこぐらしの手帖@mexicogurashi

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