『チアリーディングと笠原園花』前編:私より飛べる人に会いに行く

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チアリーディング選手の笠原園花です

皆さん、はじめまして。アートの街として有名なオーストラリア・メルボルンで、競技チアリーディングの選手として、『Sourthen Cross Cheerleading (サザンクロスチアリーディング)』という強豪チームに所属している笠原園花(かさはら そのか)です。

身長151センチという小柄な体型を活かし、宙に飛ばされる方の役割を担っています。

「宙に飛ばされている」私

チアリーディングというと、「ポンポン持って、何かスポーツを応援しに行っているんでしょ?」とよく言われます。残念ながら、違います。確かにスポーツ応援としてのチアリーディングもありますが、私が行なっているのは、人が宙に飛んで技を繰り出すアクロバティックな競技です

さて、私はこのチアリーディングを高校1年生の頃からかれこれ12年以上続けていますが、このオーストラリアで本格的にチームに所属したのは2018年1月からです。紆余曲折を経たのちに、地元強豪チームからの「世界大会のメンバーにならない?」という唐突なお誘いを受け、悩みに悩んだ結果、渡航を決めました。

現在は、約200人が所属するチアリーディング団体の、内24人のみが入れるトップチームで選手として活動しています。チーム練習は多い時では週5回、それに加えて自主練も行います。「あなた、ジムに住んでいるの?」と言われるくらい毎日通い、大好きなチアリーディングを思う存分できる充実した日々をメルボルンで送っています。

プライベートでも仲良しなチームメイト

私はこれまで、チアリーディングを軸にたくさんの「人」と「国」に関わってきました。タイ、韓国、台湾、ドバイ……。さまざまな場所に長期から短期まで滞在してきましたが、すべてチアリーディングが連れて行ってくれたと言ってもまるで過言ではありません。

ここではそんな私の『チアリーディング遍歴』についてお話したいと思います。はじめにまず、私とチアリーディングとの出会いからお聞きください。

 

バレエ、日本舞踊、ヒップホップダンス…私がチアと出会うまで

幼少期から活発で目立ちたがり屋だった私は、人前で何かを披露することが大好きで、様々な表現スポーツを経験してきました。

バトントワリングの演技発表直前リハーサルで緊張している私(3歳)

また、祖母が日本舞踊の先生だった影響で、3歳から教わりはじめたのを皮切りに、「脚力があるからクラシックバレエが向いている」と言われ、3歳から5歳まではクラシックバレエの教室に通ったり、同時期にバトントワリングも習ったり。

日本舞踊の舞台で祖母に見守られながら一人で演技をする私(5歳)

バレエの発表会終了後、友人から貰った花束を抱えご満悦の私(5歳)

6歳から10歳までは小学校の友人に誘われバレーボールにのめり込んだものの、それからは地元で定評のあったダンス教室に通い始め、ジャズダンスやヒップホップを学びました。今なお持っている負けず嫌いな性格も、このときに育まれたと思います。

ダンスは、実力でフォーメーションが決められる厳しい世界。教室で毎年開催される発表会という一大イベント。小学生当時、大人達に混ざって参加した演目ではフォーメーションが最後列の一番端で、子供ながらに「私はもっとうまく踊れるはずなのに!」と悔しい思いもしました。

それから来年こそは! と週6回ダンス教室に通い続け、14歳の時、ついにヒップホップの演目で最前列で踊ることになったのです。中学生が30人近い大人たちを退け、最前列に配列してもらえたあの瞬間は笑みをこぼさずにはいられませんでした。

ダンスの発表会にて同世代の友人たちと、真ん中下が私(中1)

高校受験のためにダンス教室は一度辞めたものの、そんなこともあって「高校に入学したらダンス部に入るんだ!」と意気揚々。しかし、高校の新入生歓迎会で目の当たりにしたのが「チアリーディング」。今でも、人が宙に舞って技を繰り出しているのをはじめて目の当たりにした感動と衝撃を忘れることができません。

同時に、負けず嫌いの私はこうも思ったのです。「私も宙に舞いたい。私ならできるかもしれない。」と、どこから湧き出たのかはわからない自信が込み上げました。

この瞬間が、私とチアリーディングとの出会いでした。

のち、チアリーディングの演技で真ん中一番上でスポットライトを浴びる私 (高2)

 

“チアリーディング視点”で見た世界

サイパンでの英語との出会い

ここでチアとは少し離れますが、英語との出会いについて。これがのちに私の背中を常に押しつづけることになります。今でこそオーストラリアに在住し日常的に英語で話している私ですが、小学生までは外国人に対して恐怖感がありました。

学校の友人に誘われ英会話学校のハロウィンパーティに参加したときには、人生初の外国人が恐くて恐くて「早く家に帰りたい」と嘆くばかり。それが「もっと学びたい!」と一変するきっかけとなったのが、小学6年生の時の家族で行ったサイパン旅行でのことです。

サイパンのショッピングセンター

親たちがショッピング中に現地の託児所に預けられた私。周りは当然全員が外国人なのですが、至ってふつうに同世代のアメリカ人の女の子と英語で会話することができたのです。「あの黄色いティシャツを着ている子は女の子? 男の子?」「女の子だよ」、今でも会話の内容と情景をしっかりと覚えています。

シンプルな会話ですが、「Yellow、 T-Shirt、Girl、Boy」の4つの単語をしっかりと聞き取り、英語で返答までできた嬉しさは尋常ではなく、買い物を終えた母に「今日ね、アメリカ人が英語で何言っているかわかったの!」と飛びつきながら報告したのを覚えています。初海外で、初めて外国人と会話を交わしたこの時が、私が英語に出会った瞬間でした。

それからは思うように話せない悔しさもあって、中学では英語を猛勉強。どっぷりハマっていきました。のちにチアリーディングと出会い、勉強が疎かになっていくのですが、当時の私が頑張って勉強してくれたおかげで(笑)、私立大学への進学ができたと思います。

“強豪なのにゆるい”、タイ・バンコク大学

大学ではチアリーディングに磨きをかけようと、当時国内トップ10の実力があった青山学院大学体育会チアリーディング部に所属。ここで、培ってきた英語力もあって、私の中の「チアリーディング」と「世界」が急速に重なっていきました

最初のきっかけは、毎年5月に東京で開催される「アジアチャンピオンシップ」という大会。大学に募集があったことから滞在中の外国人選手の取りまとめ役を務めることになり、大会期間中はアジア各国から来た選手達と朝から晩まで同じ時間を過ごしました。

取りまとめ役(国際委員)を務めたメンバー達と

その際に出会ったのが、タイ代表のアシスタントコーチ。その彼とは大会期間中に原宿を一緒に観光するなどとても仲良くなりました。そして滞在最終日、「俺の彼女にならない?」と聞かれ、冗談かと思ってふざけ半分で「いいよー」と答えたら、本当に付き合うことになったのです。

彼は、チアリーディング界では強豪ということで有名なバンコク大学チアリーディング部の卒業生兼コーチ。今思えば、このまさかの恋愛が私のチアリーディング人生を決定づける重大な出来事となりました

バンコク大学の選手たちと私(写真一番上)(2012年)

大学2年の夏、10日間しかない部活のオフ期間に彼を訪ねにバンコクへ行き、強豪バンコク大学の練習にも参加。本来は練習場所に部外者は入れないということで、どんなハードな練習が待ち構えているのだろう……とワクワクしていたのですが、そこで見た光景は、逆の意味で想像を超えた景色でした。

目に入ったのが、練習場所に準備されている選手用の夜ご飯。選手たちはこのご飯を一口食べては練習し……かと思いきや、練習中に座りはじめたり……。強豪チームなのにこんなに練習がゆるいの!? と、驚きの連続。「練習でお腹が空くからご飯は必要だよね」というコーチの一言にもカルチャーショックを受けました。

練習場所に用意されている夜ご飯とその横で話している選手たち(練習時間に!)

日本では、練習中にご飯を食べることはもとより、座ることすら許されなかったため、これまでの当たり前が当たり前でなくなった瞬間に衝撃を受けましたが、また一方で、このときから「他の国ではどんな練習しているんだろう? もっと世界のチアに触れたい。」と思うようになりました。

学問重視? 物足りなさを感じた韓国・ソウル

大学では第二外国語として韓国語を学んでいたこともあり、2年の冬に韓国で開催された7日間に渡るボランティアキャンプに参加。日韓の学生達で寝食を共にしながら田舎でボランティア活動をするということでしたが、言いたいことの半分程度しか韓国人学生に伝えられずに帰国。

日韓学生ボランティアキャンプで出会った友人達(2012年)

「もっと話せたら、もっと仲良くなれたのに……」と悔しさを抱えながら、帰国後は以前にも増して猛勉強。それから時が経ち4年になり、部活に授業にアルバイトに……と変わらない毎日にマンネリを感じてチアリーディング以外の刺激がほしいと考え、韓国の高麗大学に一年間の留学。そこで「チアリーディングから離れられる!」と思っていたにも関わらず、そこでも行き着いた先はやはりチアリーディングでした。

なぜなら、語学習得のために韓国人と話すには「韓国でチアリーディングチームに所属すること」が最善策だったからです。早速、アジア大会で知り合った現地チームのコーチに、「これからソウルに留学するので、私でも参加できるチームを紹介して欲しい」というメッセージを送りました。

1年間の留学生活で、前半は高校チーム、後半は社会人チームに所属しましたが、そこでもやはり驚きの出来事ばかりでした。ただ、タイとはまた違った意味で。

留学生活前半に参加した高校生チーム『ENZER』

留学生活後半に参加した社会人チーム『DEVIL』

高校生チームの練習は週2回2時間のみ。そんな少ない回数でも時間通り来ないのが当たり前で、全員が揃ってはじめられたことは一度もなし。技を失敗するとすぐに泣き、少しぶつかっただけで痛がる。一方の社会人チームは、練習に計画性がなく、大会直前に極寒の屋外で追加練習をしたり……。

スポーツよりも勉強が重視される韓国では仕方ないということでしたが、日本でチアリーディング選手として練習してきた私には物足りない環境でした。

この1年間、チアリーディングを通して語学は格段に上達し、親友と呼べる人たちとも出会えたので当初の目的こそ達成できましたが、一方でチアリーディングのスキルは全く伸ばすことができずに帰国しました。

チアリーディングを通してできた韓国の親友達

元彼の影響で出会った衝撃のドバイ

ここで話は一度、チアリーディングから離れます。

のちに私は仕事の関係でドバイに駐在することになるのですが、その元々のきっかけとなったのが韓国留学中に出会ったドバイ人でした。彼とは同じクラスで、恋愛関係に発展。余談ですが、「金目当てで付き合ってるのか?」と周囲から野次を飛ばされることがしばしばありました。でも当時はドバイが石油で潤っている都市ということすら知らない状態。

彼が一人暮らししていた3LDKのアパートでクラスメイト達とパーティ

その後、彼の同胞達とも付き合いが広がり、ドバイやアブダビからきた学生達の裕福な生活ぶりを目の当たりに。金色に塗装された車を乗り回したり、「ママからおこずかい300万円もらった」という言葉が出てきたり……。

ほかにも、厳格なイスラム教徒である彼らは、アルコールを誤って口にしないために飲み会には絶対に参加しなかったり、レストランでは油に豚エキスが入っていないかと細かく確認したりする姿を見るうちに、「イスラム教で裕福な人たちが多くいるドバイとは一体どういう都市なんだろう」と、興味と憧れがどんどん募っていきました。

ドバイ人の友人達が韓国で乗り回していた金ピカの車

ちなみに、この話をすると「なぜ韓国にドバイの人たちが留学しにくるの?」と驚かれることが多いですが、サムスンやLGなどの発展ぶりからもわかるように、エンジニア分野では世界でも韓国の技術が進んでいるようで、サウジアラビアやUAE(ドバイ・アブダビ)からの留学生が多くいます

そんな彼とは別れることになりましたが、募った憧れは消えることなく、留学から1年後の2015年2月についにドバイ訪問。空港を出た瞬間に目の前に広がったものは、想像をはるかに超えるキラキラと輝く世界でした。

7つ星ホテルのロビーにて。目に入るものすべてが金色。

元彼が運転する高級車に乗り込み、ドバイ観光。これまた高級車が当たり前のように街を走り、高速道路はまるでレース場のような非日常感。世界一高いタワーに、世界一大きなフラワーガーデン、7つ星ホテルでのアフターヌーンティ、そして砂漠でのひととき。

世界一高いタワー「ブージュカリファ」 から見た夜景

都心部から離れた砂漠でのひととき

中東・ドバイがここまで輝いた世界だったとは知らなかった私は、こう思ったのです。「いつかここで働きたい」。すでに国内メーカーへの就職が決まっていた私。実はこのとき、留学時代の友人を訪ねて韓国・北米・アジアを回る旅をしており、最後の行き先がドバイでした。そこで友人たちの多くは、それぞれが選んだ道についてキラキラと輝く目で語るのです。起業、ダンス教室、再び留学、外国でインターン……そしてドバイに受けた衝撃。

私は、この先働くことにワクワクしていない。周りがそうしているからただ同じように就職しただけだった。しかし、一度しかない人生、どうせなら多くの日本人とは違った人生を歩んでみたい。歩けるものならすぐにでも。この感情がのちに私の人生を大きく動かします。

最後の夜は留学時代の友人達とドバイでシーシャ

 

チアリーディング引退とスピード復帰

もともと国内メーカーでの就職を選んだ背景には、それまで高校からずっとチアリーディング漬けの日々に、海外生活など、刺激的なことから一度離れて「普通の生活を送ってみたい」という興味からでした。そこで、ドバイで受けた衝撃を引きずりつつも、チアリーディングからの引退を決意。高校・大学の7年間、週末に遊ぶ時間がない生活を送っていたため、ようやく土日を楽しめるとワクワクして迎えた社会人はじめての週末でしたが、さっそく終止符を打ちました。

「チアのない週末ってこんなにつまらないの?」

何かしようと「お洒落なカフェにいかない?」 と友人を誘ってみたり、母を買い物に同行させたりするものの、大した目的のない週末の過ごし方に物足りなさを感じ、結局私が決めたのは「チアリーディングに戻ること」でした。そして早速、都内のチアリーディング社会人チームの練習に体験参加。

社会人クラブチーム所属後初の大会にて(2015年)

とはいえ、体験後にキャプテンから「今後の目標は?」と聞かれ、「あまり新しい技を取得しようとかは考えていないです。趣味程度でやります。」と答えるほどの熱量。しかし練習を重ねるうちにやはり、「新しい技をもっと習得したい!」という負けず嫌いな性格を発揮し、平日の仕事終わりに都内の体育館まで足を運び、自主練を行うまで本気になっていました。

台湾の世界強豪チームとの練習でたぎった闘争心

そんな生活が半年つづいた社会人1年目の10月、さらなる刺激を求め、4日間の台湾旅行で、やはり既知の友人を頼って現地のチアリーディングクラブの練習に参加。

イメージがないかもしれませんが、台湾はチアリーディングの強豪国。世界大会では毎年アメリカに次ぎ準優勝を果たしています。台湾代表選手が多く所属する『MONSTER』という最強チームでの練習体験は、私が「もっと上を、世界を、目指さなければ!」と思った最初の出来事でした。

大勢の『MONSTER』所属選手に囲まれて(2015年)

『MONSTER』はA~Cチームの3チーム体制で、国家代表レベルの選手達が所属していたのがAーム。私は最下位レベルのCでの練習でしたが、それでもなおやったことがない技を次々と練習させられ、ついていけず悔しい思いをしました。

それまでチアリーディング競技者として自負のあった私でしたが、「世界には自分よりすごい選手がたくさんいる。私はこの選手達に追いつかなければ。同じ人間なんだから彼女たちにできて私にできないことはない。」と闘争心が芽生え、一時は引退を考えたことなど嘘だったかのように、帰国後はより一層練習に励むようになりました。

練習中は集中して取り組む選手たち

 

世界大会の結果にしこりを残しドバイ赴任

その闘争心に応えるかのように、間もなく世界大会に出場。実は、台湾に行く直前に『JAPAN OPEN』という大会で、所属チームが日本代表としてアメリカ・フロリダで開催される世界大会出場権を獲得していたのです。台湾での悔しさをバネにして、選手として出場するまでの日々を、「世界に勝つために何を自分がすべきか」を考えながら過ごしていました。

『JAPAN OPEN』の優勝トロフィーと日本代表候補認定証

さらにその大会直前には、新卒で入社した某大手メーカー企業を半年で退職。就職直前に出会ってからずっと胸に秘めていた「ドバイで働きたい」という思いが強くなり、その夢を叶えるため、ドバイでの駐在が可能な貿易関連会社に転職をしました。

退職、転職、日本代表決定……と激動の社会人半年目でした。

転職後2ヶ月でドバイ出張へ。サムスン・ドバイ支店で働く韓国人の友人と。

転職した会社では若手社員がドバイに駐在できるチャンスが大きく、「世界大会が終わったらチアリーディングの選手は引退します。ドバイ駐在はそれが終わればいつでも行きます。」と会社に伝えていました。もう未練はない、そう考えていました。しかしー。

フロリダでの世界大会出場を後えた2016年5月、約束通り、ドバイに赴任。夢が叶ったにも関わらず、私は毎朝のようにベッドの上で泣いていました。それはなぜか。チアリーディング選手なら世界の誰もが憧れる大舞台、フタを開けば結果は散々で、「もっとチアリーディングで上を目指したい」と、そう思ってしまったからです。

そうして私は、「ドバイで働きたい」と「チアリーディングで上を目指したい」、このふたつの夢の間で揺れる生活を送ることになります。このときはまさか自分が1年8ヶ月後、オーストラリアの強豪チームの選手になるとは夢にも思っていませんでした。その話はまた、後編にて。

台湾MONSTERの選手たちと念願の同じ舞台!(2016年)

 

 

編集:ネルソン水嶋

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この記事を書いた人

笠原 園花

笠原 園花

1992年神奈川県生まれ。芸術の街オーストラリア・メルボルン在住のアスリート。競技チアリーディングのオーストラリア代表チーム所属。韓国1年、UAE2年の在住、3年間の会社員生活を経て現在は「ワクワクすること」に絞った生活を送っている。
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