肥満の多い国・パラオは歴史が生んだ?ある日本人有機農業家の挑戦
パラオで農業をはじめた日本人女性の話
「ブロッコリーは、虫がつくから難しいね。でも、ケールとして売ることが出来そうだから良かった」
ジリジリというよりは、痛いといった方が表現が合ってるだろうか。
日本の7倍の紫外線量と言われる南国パラオで、長袖の服に長ズボン、麦わら帽子を被った完全防護姿で畑仕事をしている日本人女性がいます。依田貴美枝(よだきみえ)さん、今年で70歳になります。19年前に観光で初めてパラオに訪れた彼女は、7年前から現地で無農薬農業を始めました。
パラオは年間を通して平均28度の気温で、赤土で農業をするのには不向きな場所だと言われています。さらに、島国で農業用資材の調達も難しいです。そうした背景もあり、魚介類や輸入品に頼る独自の食文化を築いており、野菜を食べる習慣がほとんどありません。
私は、個人的な興味からパラオの田舎における生活を調べるために来ました。しかし現地の農家の人たちにことごとく断られ、途方に暮れていた時に、知人の紹介で出会った方が依田さんでした。そんな厳しい異国の地で、なぜ彼女は農業をはじめようと思ったのでしょうか? その背景に迫ろうと思います。
野菜を食べない? 栄養バランスが偏るパラオ
そこでまずは、パラオに来て僕が衝撃を受けたことを紹介させてください。それは街中が、日本ではあまり見かけないレベルの肥満の人たちで溢れているということです。
思いきって現地の人に話を聞くと、このようにパラオの人々が肥満に陥っている背景には、元々の食文化とアメリカの統治時代が大きく関係しているようです。
島国のため豊かな水産資源があるパラオの食文化は、漁業を中心とした狩猟採集的なもの。野菜といえば、タロイモやタピオカなどを女性が家事の合間に作っている程度で、農業はほとんど発展しなかったようです。
確かにスーパーで売られる弁当を見ると、ごはんの上に、卵と、ベーコンやハムなどの肉類がドーンと乗っかってるといったもので野菜は入っていません。さらに、スーパーで売られている野菜のほとんどがアメリカ・台湾・韓国産の輸入品になります。なんだあるじゃないかと思われるかもしれませんが、輸送環境が悪く傷物が目立ちます。
そんな漁業中心の食文化から、第二次世界大戦を経て、アメリカの統治が開始。そこで簡単に食べられる缶詰が大量に入ってきたことで、パラオ人の肥満化が始まったと言われます。当時の学校給食の話を聞くとは当時は缶詰とご飯だけといった質素なものだったようです。
食生活の乱れは長い間に渡って深刻で、今から5年ほど前に日本人ボランティアがパラオの学生に対して健康診断を実施したところ、そのほとんどが生活習慣病予備軍。
その結果を受けて給食の献立に野菜を盛り込んで改善を図ろうとするも、予定していたグリーンサラダをつくることができずに桃の缶詰とポテトチップスに変更。これではせっかく考えられた栄養バランスもめちゃくちゃです。
しかしそれもそのはず、給食を作る調理員も、それまでは缶詰を開けたりご飯を焚いていただけで何の資格も持ってない人たち。めんどくさがったり、楽をしたがる性格の人が多いようで、献立を作る人が栄養や健康のことを考えたところで、献立と実際のメニューが違うということが今もなおしばしば起こっているとのことでした。
このように、狩猟採集のように好きな時に食料を調達していた習慣に、アメリカの缶詰など便利で簡単に食べれるものが入ってきて、なおかつ元々の野菜を食べない習慣も重なり、パラオの食文化はめちゃくちゃになっているという現状があります。
そんな現状を知って立ち上がった方が依田さんでした。
パラオの食文化を改善するパラオファームの野菜
「19年前にはじめて来たとき、野菜の汚さに衝撃を受けたんですよ。なにしろペシャンコになったメロンが売られていましたからね」、依田さんはそう話してくれました。
僕の印象では今でも汚い野菜が多いと思っていましたが、当時はもっと酷かったようです。
実はこの時期に、依田さんの旦那さんはダイビング中に行方不明になり、総出で捜索したものの結局見つかりませんでした。パラオとの縁はそれからで、たびたび来るようになったとのこと。のちに、娘さんはパラオ人の方と結婚。そしてパラオの野菜の有り様を受けて、日本でも畑を持っていた依田さんは、「パラオの食文化を改善しよう」「人生好きなことをした方がいい」と一念発起。
今から7年前に現地の畑を借りて、娘さんの旦那さん、つまり義理の息子さんと、オクラ・ナス・とうもろこし・きゅうり・人参や葉物野菜などの少量多品種を無農薬で栽培&販売する『サクラファーム』をはじめました。ちなみに、パラオではパラオ人しか土地を購入できないという法律があり、最大99年までのリースができます。
依田さんは、「無農薬だからしょうがない」とか、「他の野菜が汚いから大丈夫」とか、そういった妥協は一切せずに見た目も味も相当こだわって作られています。それらの野菜は他のものとは一線を画し、スーパーに卸すと一人で何袋も抱えて買う人もおり、いつも一瞬で無くなるほどの大人気ぶりです。
サクラファームの野菜は、パラオの食文化を草の根運動的に変えていっています。
日本では考えられないパラオならではの苦労
パラオで農業を行うにあたって、日本とは違った苦労がたくさんあります。
例えば、サクラファームでは、パラオに出稼ぎにきているバングラデシュ人を2人雇っています。そこで最近、従業員のために寮を建設したのですが、工事がずさんで後から追加で何度も費用がかかり、完成が長引いたそうです。
また、修理に出したトラクターも、業者の気まぐれで予定していた日に来たり来なかったり、頼んだところが直っていてもまた別のところが悪くなるなど、依頼から一年以上経っても常にどこかがおかしい様子。野菜の注文が増えており、新しい畑を増やしたいけども、完全に修理されるまでできないという苦しい状態です。
また、パラオには明確な有機野菜などの認証制度がないため、そもそもの認知が薄ければブランド化も難しく、スーパーでは化学肥料などを使った他の野菜と同じ様に扱われて、せっかく苦労して作っても付加価値をつけて売れないという現状があります。
ただ、この原稿を書いている頃に「パラオでも太平洋全体の基準に従った制度をつくっていこう」という話が立ち上がり、近い将来に状況は変わっていくかもしれません。
前述の通り、パラオは島国なのでほとんどの資材を他の国から調達しなければなりません。そのため、資材や堆肥づくりに使用する鶏糞なども場合によっては日本よりも高くなります。その解決策として自ら鶏を150羽ほど飼育することになりました。
島国パラオの食文化に新たな道を切り開く
今回、依田さんの話を聞いて、パラオで農業をやることは並大抵のことじゃないなと思いました。小さな島国ならではの流通や、気候などの農業を行う上での難しさもそうですが、それ以前に任せた仕事をできないことが非常に多いです。
それでも依田さんは、「パラオでやるのが楽しい」と言われています。「日本の環境じゃ寝込んじゃうからね。私、花粉症とかアレルギーもあるから」。依田さんはいくつかの病気を持っていてて日本では動けないほどの状態なのですが、パラオの自然豊かな環境では平気になるとのこと。南国の暖かい気候は依田さんにとっては大切なことだそうです。
思う様にいかないことの方が多いですが、だからこそと、そこと向き合って挑戦している日本人の姿が南国パラオにありました。
*
編集:ネルソン水嶋
- ※当サイトのコンテンツ(テキスト、画像、その他のデータ)の無断転載・無断使用を固く禁じます。また、まとめサイトなどへの引用も厳禁です。
- ※記事は現地事情に精通したライターが制作しておりますが、その国・地域の、すべての文化の紹介を保証するものではありません。
この記事を書いた人
松本 さとし
佐賀生まれ佐賀育ち。おばあちゃんの畑を継ぎたいと思い、力をつけるために、『トビタテ!留学JAPAN』日本代表プログラム7期生として、オランダとパラオに留学し農業を学ぶ。専門は生命科学。年に150冊以上本を読む。好きな本は岡倉天心著の「茶の本」。