『サードウェイブを知りたいカフェの旅』第二回:バンクーバーで見た無料の一杯
私がカフェ巡りの旅に出る理由(前回までのあらすじ)
喫茶店文化が盛んな岐阜で子供時代を過ごし、大学時代はカフェの経営に携わり、ついには珈琲専門の商社に就職し、ひょんなことから珈琲大国のベトナムへ移住した私。そこで念願の珈琲農園を目にした時、日本では知りえなかった部分も含めて、本当の意味で珈琲がどのように出来ているのか理解出来た気がしました。また同時に、日本のサードウェイブコーヒーの在り方に疑問も。
日本でのサードウェイブコーヒーとは、生産地ごとの豆の特徴を活かし、ハンドドリップで楽しむスタイルです。ここでの味の特徴は、酸味。つまりフルーツとしての珈琲本来の味。しかし、そもそも珈琲=フルーツという認識が、珈琲農園に行く前の私にとって、また多くの日本人にとって、どれだけあるのでしょうか。珈琲=苦い飲み物という認識がほとんどではないでしょうか。
そうすると、果たして日本はサードウェイブというものを正しく受け取れているのだろうか。だからこそ自分の目で、「サードウェイブの真実」とは何か、そのルーツである「欧米のカフェ文化」とは何か。それらを突き止めるために、カフェの旅に出ることにしました。
私が選んだ場所はサードウェイブの発祥の地と言われているポートランド、多民族・多文化が共存するカナダ、経済の中心であるニューヨーク、そして珈琲最大チェーン店スターバックスの1号店があるシアトル。約3週間4都市でのカフェ巡りの旅が始ります。
https://traveloco.jp/kaigaizine/izumino-cafe-trip
第一回目はこちらから。
幸先の悪いバンクーバーの旅
旅の幸先は悪かった。バンクーバー空港に到着早々私を待っていたのは、予想外の3時間に及ぶたらい回し事件でした。
「日本で何をしている?」
「どうして1人で3週間も旅をする?」
「留学で来たんじゃないのか? 学生ビザの申請はしたか?」
イミグレーションでは何度も何度も質問を受け、最終的には別室まで連れていかれ、要注意人物並みのチェックを受けて、ようやく入国。カナダといえば多民族国家で、外国人に対しても寛大であるイメージを強く抱いていただけに、その現実とのギャップにはショックを受けました。当時の理由は、いまだにわからないまま。
「次のアメリカ入国はどうなるんだろう……」とざわつく胸を抑えながら旅の始まりを家族に報告すると、「童顔だからね(笑)」という返事。そういうものなのだろうか。
目的地の場所はバンクーバーのチャイナタウン、リッチモンド。ワケはそこに宿をとっていたから。電車とバスを乗り継ぎ歩いて合計約1時間。長時間に及ぶ慣れない英語の質問攻めでスッカリ意気消沈した状態の私に追い打ちをかけるよう、最寄りのバス停まで「20駅」との表示を見たときの不安ぶりといったら。やっとの思いで宿に到着して安堵した瞬間を今でも鮮明に覚えています。
また、9月のバンクーバーは平均気温10度という日本の季節を想像以上に裏切る寒さで、部屋に入ってもなお堪えきれません。しかも、事前に調べておいた気温や気候も、ちょうど季節の変わり目で過去の情報に。私の感覚はすっかりベトナム(しかもビーチリゾート)が基準になっていてビーチサンダルまで持参しましたが、最後まで使うこともなく、むしろ急遽ジャケットを購入することになったのでした。
そんな、精神的にも身体的にも辛いスタート。しかし、私の目的はあくまでカフェ、本場のサードウェイブをこの目で確かめることです。初日からへこたれているワケにもいかず、翌日からはさっそく事前に調べておいたカフェ巡り、ノルマは1日2軒以上。そこで見たカフェの風景は、ことごとく私に驚きを与えてくれました。
それぞれのカフェをどういう基準で見て回ったのか、この通り。
- 日常的な使い方
- 珈琲の味わいの表現方法(※)
- 雰囲気は日本のサードウェイブ系店舗と似ているのか
- 客層
※日本でいう「オレンジのような酸味」「はちみつのような口当たり」はどうなっているか
なお、珈琲の味や香りについての評価はしません。私はプロの舌という訳でもなく、ただの珈琲好きであり、カフェという空間が好きに過ぎません。あくまでも今回の目的は「北米のカフェという箱から見える珈琲文化とは何か」です。
カナダサイズもアメリカンサイズ
バンクーバーのカフェでまず驚いたことが、その基準サイズが大きいこと。日本でSサイズのラテを頼めば、片手に収まる大きさのカップが出てくるものです。しかし、現地で「Sサイズのラテをください」と注文したところ……出てきたものが、自分の顔と変わらない大きさのカップ。
最初は「注文を間違えたのかな?」と思いましたが、この後どこのカフェで注文しても「Sサイズ=顔の大きさ」を繰り返し、ようやくこれがスタンダードなんだと納得。アメリカにはアメリカンサイズがあることは知っていたが、カナダもそれとは。
これは、カフェ文化の違いの発見でもありました。カップサイズひとつに国ごとの標準サイズがある。その国の人が飲みたいと思う、基準サイズが日々の生活の中で生まれているということです。
きっとこれだと、日本を訪問するカナダ人には「日本のサイズが小さすぎる」ということが起こるでしょう。オリンピックに向けて日本が進める国際化において、飲食物のサイズも配慮していくところなのだろうと思いました。
ただ、そういうカフェが多かった中で、日本と同じくらいのSサイズを提供するお店がありました。カナダの最大カフェチェーン「Tim Hortons」。ここはお財布に優しい価格帯の店という事もあり、利用客は学生が中心で、勉強したり、友達とお喋りして過ごしている人が多かったです。長年地元カナダで愛され続けているチェーンのひとつで、街中はもちろんスーパーでも必ず見かけます。
バンクーバーのカフェは「憩いの場」的
バンクーバーのカフェでは、平日の朝はスーツ姿のサラリーマンが同僚と話をしながら珈琲を待っている姿が目立ちます。それは日本ともさほど変わりありませんが、店内の雰囲気が大きく違いました。それは、空間を流れる時間がゆったりとしているところ。
私は学生時代に朝マックで接客をしていたのですが、毎朝が1分でも早い提供が求められる「スピード勝負」で、そこに「空間を楽しむ」という感覚は少ないように思えました。朝マックは日本でも一際そんな場所かもしれませんが、ほかのカフェでもそのような場所は多いはず。しかし、バンクーバーのカフェの朝は違います。
通勤前の忙しい時間帯においても、店内ではゆったりとした時間が流れており、イートインとテイクアウトのどちらの人にも急ぐ様子は見えない。注文した品を待ちながら、新聞を読む人、同僚と話す人、おのおので貴重な朝の時間を大切にしている。
それは店員さんの動きにもあらわれており、次から次へと注文が入っていても提供スピードをまったく変えず、ひとつひとつを丁寧に淹れてサーブする。この経験は朝の珈琲を飲むとは何か、考え直した瞬間でもありました。そこはカフェであり、また、「憩いの場」と表現してもしっくりくるものでした。
さらに衝撃的だったことが、「お金をとらない場合もある」ということです。バンクーバーを歩いていて目に留まったことは、予想外のホームレスの数。支払い能力があるように見えない、実際に支払う素振りもない。それでもカフェは、そんな方が訪れたときに一杯の珈琲を提供していました。
そもそも思い描いていたバンクーバーのイメージと大きく異なる現実に、現地の旅行代理店に聞くと、「移民が多いからこそ人が溢れ働き口が狭くなっており、収入格差が広がっている」とのこと。支払能力があろうとなかろうと、全ての訪れた人一杯の珈琲を提供する。もちろんすべてのカフェがそうだという訳ではありませんが、誰にでも珈琲を楽しむ権利がバンクーバーのカフェの箱には存在していました。
多国籍の人々が暮らすバンクーバーで、新しいカフェの形に衝撃を受けた私。次は、ニューヨークへと旅立ちます。世界経済の中心地で暮らす人々に珈琲はどのように根付いているのか。珈琲を通じて街の形を見ていきたい。
まるで迷路のようなニューヨークの地下鉄
夢にまで見たニューヨーク、雑誌や映画を通して想像していた街に私はついにやってきた。「カナダの入国時のようなことが起こるのではないか」と構えていたのに、案外すんなり入国でき拍子抜けしつつ、アメリカの旅が始まった。
空港からバスでタイムズスクエアに到着し、今まで画面越しで見ていた街が現れ、圧倒される。降り立ってからまず難題だったのは地下鉄でした。路線図は渋谷駅や新宿駅のように複雑で、岐阜から上京したときに新宿駅で1時間以上も地上に出られなかった苦い思い出が頭をよぎる。
切符の購入もややこしく、なぜかお札は拒否された上にカードも反応しない。私の後に列が出来はじめ、慌てふためきながら何度かやっているうちにやっと購入。しかし、後は乗って宿の最寄り駅に向かうだけなのに、どこのホームに行ったらいいのか分からず、結局購入から乗車まで1時間くらいかかっていたように思います。過程は違うが新宿駅の二の舞に。
街中を歩いていて一番感じたことは、東京の方が圧倒的にビル群だということです。ニューヨークでは100年以上の歴史を持つ建物も多くあるため、大きさも古さもさまざまなものが混在しています。そこであの、東京のビル群が生み出す都会感はすごいなと改めて思いました。
ニューヨークの街案内はこれくらいにして、そろそろカフェの旅を再開しましょう。
時代とともに変化するカフェのチップ制度
ニューヨーカーといえば、大きなカップを片手に街を歩いている。映画や雑誌からそんなイメージを抱いていました。現実は……そのまま! 平日朝のセントラルパーク周辺は、カップを片手に新聞を持つ人がいたり、公園のベンチに座って、朝食を食べる人がいたり。昼時も、スーツを着たサラリーマンたちがカップを片手に颯爽と歩いています。そのカップはカナダで見たサイズと同様にビッグサイズでした。
ミッドタウンの中心街にあるカフェは、小さい箱でカウンターのみの店舗が多く、注文して、受け取って、あとはセルフサービスで砂糖などを入れてすぐに出ていく。メニューにはエスプレッソやラテなどのドリンクに種類が記載されているだけで、味わいの表現は一切書かれてありません。お客さんの滞在時間は5分以内と短く、代るがわる入れ替わっていました。
しかし、休日になると雰囲気が変わり、カウンター店舗ではベンチ椅子が出され、そうでない店舗でもテラス席を利用する人が多く見かけました。
最も衝撃を受けたのは、チップ制度です。アメリカのチップ文化は私も認識していましたが、それは「自分で金額を決めて支払う」ものだと思っていました。しかし、実際には、会計時に画面上の指定された金額から選択して支払います(選択時に店員はいちおう目を逸らす)。
この時は、本人の気持ち次第のはずのチップに対して「選択を迫られる」という状況に、「なぜ自由でないのか」と違和感を感じられずにはいられませんでした。しかし今考えると、近年の電子マネー化でお金を持たずに外へ出かけるという場面も出てくるはず。するとチップもまた、それに沿う形でこのようなシステムが生まれたのかもしれません。ただ、画面の中にあった「支払わない」という選択肢を選べる人がいるかは疑問でしたが。
ニューヨークでは「GREEN TEA」が流行、日本との違いも。
日本では、サードウェイブが流行しだした頃から、街中には急激にカフェが増えました。一方で、「アメリカでも抹茶が流行している」と知人から聞いており、珈琲ではないものの同じカフェのカテゴリーとして気になっていたので、その実態も調べてみることに。
『MATCHA BAR』は、2014年に生まれたNYとLAに店舗を構えている抹茶専門のカフェチェーン。チェルシーマーケット(観光客向けの商業施設)近くの店舗は、テーブルが5卓(うち1卓は外)だけの小さな箱で、客層はほとんどが女性。抹茶は、珈琲やエナジードリンクに代わる健康に良いドリンクとして認知され、また立ち上げた兄弟もそう考えていますが、成分や特徴を説明するものは書かれていませんでした。
つづいてT2は、オーストラリア発のブランドで、世界中の茶葉を取り扱っています。店内は色鮮やかなパッケージが陳列されており、抹茶ラテを注文するとその場で店員さんが慣れた手つきでお茶を点ててくれます(大量のお湯を入れていたことには驚きましたが……)。
抹茶カフェからみえてきたことは、アメリカンスタイルに変化し導入されていることです。大きな違いは、お茶を点てるのに人の手ではなく機械を使うカフェもあるところ。また、店内は日本風な雰囲気でなく、珈琲のカフェと同様のスタイルで構えているお店が多い。それは、この抹茶カフェが、なにも特別な物ではなく、日常的にこの街に馴染んでいることをあらわしているようでした。
サードウェイブ発祥の地、ポートランド・シアトル西海岸へ。
ニューヨークとバンクーバー、カフェという箱を通じてふたつの街の時間の流れが「こうも違うのか」と実感しました。その場所に流れる時間が、カフェを通じて目に見える形になって生み出され、それがひとつの珈琲文化として根付いていくように思います。
あっという間に3日間の滞在は終わり、ついにサードウェイブの本場であるポートランドへ出発します。しかし、夢を叶えるのは簡単ではありません。早朝便のためタクシーで朝向かうつもりが、一万円以上かかるということを知り、急遽予定を変更してバス最終便からの空港泊。朝5時まで荷物を気にしながら、凍えるような空港の寒さと闘うことになるのでした。
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編集:ネルソン水嶋
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この記事を書いた人
泉野 かおり
岐阜県出身。コーヒーを通じてつくる空間が好き。その思いから、日本各国、世界各国コーヒーの旅に出る。コーヒー屋さんを通じて見える現地の暮らし、コーヒーの旅から見える新たな空間と私たちのコーヒーとは何か、日々問いながら、いつか最高の空間を作り上げることを目標にしている。instagram / cocotrading vietnam